シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

描きためた絵を整理する

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2月末~3月初めに絵画サークルの作品展があります。

3通りの飾りつけをするため、出品数は3点になります。

 

さあ困った!最近はカード作り専門で、これはという作品は

ほとんどありません。描き途中のアクリル画は、なんとか間に合う

よう仕上げるとして、あと2点。古い絵を引っ張り出して、

手直しするほか術がないのが悩みどころです。

 

絵を出品するには額縁とマットが必要ですが、若い頃はともかく、

重い額縁を運ぶのも、設営するのも一苦労。もう大作に取り組むことも

ないと思うので、額も仮縁(かりぶち)やフォトフレームを使用し、

今後は薄いボードや画用紙に描くことに決めました。

 

さらに古いキャンバスの再利用も。

押し入れの中を探すと、IKKOさんではないですが「どんだけ~!」

まだ未完成のものも含め、有るは、有るは‥。いつ、どこで、どのように

描いたのかも思い出せない絵がどっさり出てきました。どれも発表など

できそうもない絵ばかり。出さなきゃ良かったかな~(-_-;)

 

この際、もういいかなと思えるものは処分するとして、手直し

できそうなものだけを残すことにしました。そのうちのいずれかを選び

手を加えてサークル展に出品しようと思います。

 

ところで、絵や額縁を引っ張り出したついでに、気分転換にとリビングの

壁に飾っていた絵をすげ替えることにしました。コロナのご時世、なかなか

行くことも出来ないし、故郷の海を描いた絵を飾ることにしました。

宮城県気仙沼市・岩井崎の潮吹岩。清々しい水しぶき、まっすぐな水平線に

パワーをもらえそうです。因みにいちばん左隅の色紙は中村憲剛さんのサイン。

我が家の家宝です⚽⚽⚽

 

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海の絵の左横の色紙額は、絵を習い始めた頃の作品です。なぜ色紙に?

それも覚えていないのですが、夫が俳句を書き添えてくれたので、

並べて飾ることにしました。

「紅く熟る茱萸(ぐみ)白き夏雲に映ゆ」  三無

 

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身びいきながら、なかなか良い句だと思います。ただ、できれば

筆ペンではなく、筆と墨汁で書いてほしかったかなと‥。

まあ、夫婦合作ということで、これもご愛嬌でしょうか。

 

 

年末の大掃除ならぬ、新年の押入れ整理。

けっこうな大仕事になりましたが、整理ができてスッキリです。

あらためて「百人一首」に挑む

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新年おめでとうございます。

相変わらずマイペースではありますが、今年も徒然なるまま、

ひらめくままに綴っていきたいと思っております。

本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

ステイホームが定着し、暮らしのリズムも弛みがち。

でも熱量が足りないのは大人だけで、孫たちは元気いっぱい。

年末年始も、しっかりパワー注入してもらいました(^^;)

 

小学3年生の孫娘は、今、「百人一首」に夢中です。

子供向けの解説書を買ってもらい、カラフルな付箋をたくさん

貼って、一生懸命に覚えています。自分の家にはカルタが

ありません。それで、やってくるとテーブルいっぱいにカルタを

広げ、iPadを使って猛勉強。覚え方も昔とは大違いだと、

感心しきりです。

 

ちょっと知ったかぶりをして、「む・す・め・ふ・さ・ほ・せ」の

札の取り方を伝授すると、大喜びで紙にメモしていました。

日本古来の遊びには、どの時代、どの世代にも心を惹き付ける

不思議な魅力があるのでしょうね。

 

読み手は決まって、おじいちゃん。ただ、読みながら札を探すので

「おじいちゃん、ずるい! 読む人は取らないで!」と猛クレーム。

自分なりの覚え方があるようで、けっこうな札が取れています。

時々、カルタに興味のないお兄ちゃんが、こっそり一枚隠したり‥。

大騒ぎしながらのカルタ合戦も、またおかし、ですね。

 

二十年前、息子たちと遊ぶために、百首全部を覚え直したはずなのに、

結局、覚えているのは自分の好きな歌ばかり。孫とは言え、手加減は

無礼なりと、ジジババも、もう一度、真剣勝負に挑む覚悟でいます。

 

百人一首」。

脳の活性化には、最適の遊びと言えるかもしれません。

 

感謝というワックスで、心の大掃除

先日、諸々の事情で延び延びになっていたファミリー

イベントを、まとめて執り行いました。長男の誕生日、

次男のお嫁さんの誕生日、そしてクリスマスのお祝いです。

小3孫の女の子は、「ケーキ3回分が1回になった」と

不満顔でしたが、ともあれ楽しい団らんの時に感謝です。

 

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北欧小物のお店、フライング・タイガーで可愛いグッズを

買い揃えてラッピング。それでも、一つくらいは手作りの

ものを‥と、泥縄式にミシンがけ。ママと二人の孫用に

アームカバーを縫いました。家事一手引き受けのママは

もちろんですが、魚を捌くのが大得意のお兄ちゃん、

お菓子作りにはまっている妹にとっても必需品。かなり

地味な贈り物ではありますが、出番が多くなること

請け合いです(*^^)v

 

アームカバーは家事全般に役立ちます。特に冬場は袖口が

気になるので、これがあるとないとでは仕事の能率が‥。

個人的見解ではありますが、私にとっては必須アイテムです。

 

長い前フリでしたが、“アームカバー”からの“年末大掃除”。

ここかしこ、見回せばお掃除が必要な場所ばかり。ただ昨年、

今年とコロナ予防のおかげで拭き掃除が習慣になり、家の

ホコリはだいぶ減りました。そういうわけで、まあいいか、

みたいな心の声に、なびきそうな今日このごろです(^o^;)

 

さて、「部屋は心を映す鏡」という言葉を聞いたことがあります。

一年の終わりには心の部屋の点検も必要かもしれませんね。

 

なぜなら365日、心はいつも明朗快晴ではありません。

きっとネガティブな領域があるはずです。曇天の日も嵐の日も

あります。それでも「すべてのことを働かせて益としてくださる」

神さまがおられることを知っているなら、どんなことでも

ポジティブな思いに置き換えることができるようになります。

これを習慣にすることで、ネガティブな領域が小さくなって

いきます。仕上げに感謝という強力なワックスでかすかに残る

心のシミを磨いたら、「どんな出来事にも意味がある」ことが

自ずと分かってきて、前向きな気持ちになれるから不思議です。

 

  神を愛する人たち、神のご計画にしたがって召された人たちの

 ためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは

 知っています。       ローマ人への手紙8章28節

 

この季節、部屋も心もきれいに掃き清め、拭き清めて、清々しい

新年を迎えたいものですね。

 

誰にとっても 一日は二十四時間

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 2021年も残り少なくなりました。誰もが希望的観測の下、

もっと暮らし良い一年になると信じていたことでしょう。

新たな、しかも感染力が強い変異株がまた現れ、不安は募る

ばかりですが、希望の灯が見える2022年になることを、心を

こめて祈るばかりです。

 

 師走の字の通り、慌ただしい年の瀬。

用意周到にスケジュールを組み、きちんとノルマを消化し、

清々しい達成感に浸りながら新年を迎える‥のが理想ですが、

理想と現実は正反対であるのが人の常かもしれません。

To Do リストを列挙し、やり終えたらチェックを入れるようには

していますが、毎日、必ずやり残しが3つ、4つ。もう少し

上手に時間をやりくりしなければと、反省しきりです。

 

 若い頃のようにテキパキと動けないし、すぐ疲れるので、

休憩時間が長すぎることも問題。休憩中、何かピンと頭をよぎると

そちらに心が動き、つい予定にないことを始めてしまう。時間は

どんどん押して行き、結果、「あ~、今日も終わらなかった」と

いうことに(-_-;) テスト前の勉強中、削らなくても良い鉛筆を

削ったり、引き出しの整理をしたり‥、「今じゃないでしょ!」

という感じの、時間の無駄遣いですね。

 

 ルシンダ・バセットという人の言葉がズシンと心に響きます。

  

  「誰にとっても 一日は二十四時間です。

   その使い方を 私たちは自分で選ぶのです」

 

 この年末、忙しさを言い訳に、自分を甘やかし過ぎないように、

セルフコントロールしていきたいものです。

 

トップの写真は私の部屋の掛け時計。今年の春、長い闘病を

経て天に召された教会の友人が、粘土細工を施しプレゼントして

くれたもの。一秒の狂いもない、優れものです。

 

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これは、孫たちと一緒に陶芸教室で作った掛け時計。

あらためて思うのですが、時を知らせてくれる時計の存在は

何にもましてありがたい、貴重なものですね。

 

天才か! うちの孫。

 30年近く自分史を綴っていますが、最初に講師の先生から

受けたアドバイスに、次のようなものがありました。

 一つは、あくまでも、正しい時代考証に基づいた“私”の

自分史であること。次に、一文は短く。読者の立場に立って、

一息でスラスラ読めること。そして読み手にとって最もつまらない

自慢話を避けること。どんなにカモフラージュしても、

自己陶酔、自己アピール感が透けて見える文には魅力無しと。

 

 たしかにその通り。そんな文に出会ったら、斜め読みか、

続きを読まずにポイッ‥。そんな感じになるでしょうね。

 

 重々、それは承知の上ですが、それでも自慢したくなる孫の

作品群。タカトシさんの「欧米か!」ならぬ、「天才か!うちの孫」

という、ババ馬鹿も大概のタイトルを掲げてしまいましたが、

一部を紹介させていただくことをご容赦くださいませ。

 

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 現在、小学6年生。作品の完成度から言えば、ごくごく普通の

レベルではありますが、孫が作るものは、発想のユニークさの点で

いつも驚かされるのです。

 学校で裁縫の初歩を習ったのでしょうか。二日がかりで大好きな

魚のオブジェを作りました。型紙もレシピもまったく無し。自分が

最も好きな魚の形を思い出しながら、仕上げたのだとか。12歳の

男の子が考え、考え、チクチクとマスコット人形を縫っている姿を

想像すると、ちょっと微笑ましいですね。

 過去には、こんなものも作りました。

 

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               3歳(金魚)、4歳(ケーキ) 
 

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               5歳(回転寿司)、6歳(生け花)

 幼い頃から物をよく観察する子供でしたが、細部にわたって

より本物に近いものを作ろうとする意欲、努力を、祖母は大いに

買いたいと思うし、これからもユニークな作品を作って楽しませて

くれることを願っています(^o^;) 

 

   神様はあなたがた一人一人に、何らかの特別な能力を

  授けておられます。その能力によって、互いに助け合い、

  神様からのあふれる祝福をひとり占めにはせず、他の人と

  分かち合いなさい。

         新約聖書 ペテロの手紙 第一 4章10節

                      (リビングバイブル訳)

 

バイブルクラスのある幸せ

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 昨年春、コロナによる自粛生活が求められるようになって以来、

あらゆる方面での様式、方針の見直し・変更が余儀なくされました。

 

 私個人の日常生活に当てはめて言うなら、毎週日曜日の礼拝を

初め、教会の諸集会 然り、サークル活動 然り、美術館めぐり 然り、

サッカーのスタジアム観戦 然り‥。

 

 元々、家にいることが嫌いではないので、外出できないことへの

ストレスが溜まることは、あまりありません。昔、フジカラーの

CMで、樹木希林さんの「それなりに」というフレーズが大流行

しましたが、私も「それなりに」、時間を消化できています。

 

 ただ何か一つが、物足りない。何となく埋まらない心の真空領域

とでも言ったら良いでしょうか。その何かが、先月、ようやく

判明したのです。

 

 私の日常に欠けていたもの。それは、30年来、続けているバイブル

クラスの存在でした。所属教会では通常、木曜日の午前中に「聖書を

読む会」という、いわゆる聖書研究の集会を行っています。

 昨年3月以降、コロナが沈静化するまで休会することになって

いましたが、神奈川県は感染者数も多く、なかなか再開のタイミングを

つかめないでいました。

 

 状況が落ち着いている今が、チャンスかもしれない。銘々の心に

そんな促しがあったのか、声が上がり、牧師さんのGo Signも出て、

久々にメンバーが集合。教会堂とZoomの両方を用いての再スタート

となりました。

 もちろん、新しいオミクロン株の拡大が懸念される中での再開です。

今後の状況次第という条件付きではありますが、顔を合わせて聖書を

学ぶ機会が与えられることは、本当に感謝です。

 この際、飲食無しも、無粋なアクリル仕切り板使用も致し方なし。

とにもかくにも集まれることを喜び、良しとしましょう(^o^;)

 

 約1年半ぶりのバイブルクラス。パズルの空いたところのピースが

ピタッとハマりました。モヤモヤした霧がすっきり晴れた気分です。

 

 初代教会のクリスチャンたちの日常生活も、聖書にこう書いて

あります。彼らも集まり、学び、祈っていたのですね。

  彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、

   パンを裂き、祈りをしていた。        

                使徒の働き2章42節

 

 教会の、こうあるべき本来の姿を再確認した思いです。

人生はサッカーの前半戦、後半戦に似ている

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  ※写真は昨年引退した中村憲剛さんの直筆サイン

 

 聖路加国際病院の名誉院長を務められた日野原重明さんが、

105歳で天に召されたのは2017年のことでした。

 日野原先生と言えば、「生活習慣病」の名づけ親でもあり、

『生き方上手』などの著書で、幅広い層に親しまれた名医でも

ありましたね。私の父と同い年、しかも同じ内科医だったことから、

日野原先生には一方的に親近感を覚え、姉と一緒に講演を聴きに

行ったこともあります。

 

 ブログには何度も書いていますが、私はサッカー観戦が趣味。

コロナ禍中にあっては、競技場での観戦はまだ難しいところですが、

今は便利な時代。家で夫と二人、DAZNのサッカー中継を見ながら

大いに盛り上がっています。

 

 なぜ急に日野原先生からサッカーの話に飛ぶかと言うと、以前

読んだ、日野原先生と花の詩画集で有名な星野富弘さんの対談集、

『たった一度の人生だから』の中に、人生をサッカーに例えている、

興味深い話があったのを思い出したからです。この本は誰かに

プレゼントして、今は手元にありません。おぼろげではありますが、

どんな内容であったか、自分の言葉で書いてみます。

 

 人生はよくマラソンレースに例えられるけれど、人生はマラソン

よりもサッカーの前半戦、後半戦に少し似ている。全力で前半戦を

戦い、ハーフタイムに前半の戦い方の振り返りをする。ハーフタイム

とは戦い方の修正と強化、気合を入れ直すための作戦タイム。新しい

展開が待ち受けている後半戦も、言わば前半戦同様、そこからが

本番。さあ、これからどう戦おうという高いモチベーションで、

プレーに臨むべきである。

 

 ざっとこんなニュアンスだったかと思います。そう考えると、

確かにサッカーは人生に似ている気がします。 人生前半、反省すべき

こと、欠けていることがあれば、ちょっと立ち止まってそれを修正、

強化する。これはハーフタイムと一緒ですね。人生後半、神様がどんな

ボールをパスしてくださるのかは分かりません。ただ、落ち着いて、

正確にそのボールをトラップし、丁寧にパスをつないでいく。

 

 人生の後半戦も、キックオフの笛が鳴ると同時に、いざ本番。老いて

力は衰えても、自分にできるベストを尽くし、丁寧にパスをつなぐ努力を

する。スポーツからもたくさんの生きるヒントが得られ、ポジティブな

シニアライフを送ることができるのだと教えられますね。

 

 ちなみに、今年も応援する川崎フロンターレが、最終節を待たずに

二連覇を果たし、優勝カップを手にすることができました。J2時代の

ガラ空きスタンドを知っているサポーターとしては、本当に嬉しい限り

です。さて、来年はスタジアム観戦ができるでしょうか。

 コロナの終息の時が、一日も早く来ますように祈るばかりです。