シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

薄桃色の野菊によせて

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 まだ幼かった孫が、空き地のフェンスからはみ出していた

野菊を摘んできたことがありました。いっしょに鉢に植え替えて

から、孫も野菊も、びっくりするほど大きくなりました。ちなみに

孫はもう小学6年生。ついに身長も追い越された祖母です😢

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野の花は根付きもよく、毎年きれいな花を咲かせてくれます。

株はどんどん大きくなり、その都度、鉢もサイズアップ。鉢替えは

夫の仕事ですが、可愛い孫のため。労は惜しみません(^o^;)

 

今年もたくさんの花をつけました。清楚で慎ましやかな風情の

野菊でしたが、ここまで立派に育つとは‥。野の花の逞しさ、

その生命力に驚きと感動を覚えます。

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 私が好きな聖句の一つに次のようなものがあります。

 

  私が植えて、アポロが水を注ぎました。

  しかし、成長させたのは神です。

        新約聖書 コリント人への手紙 第一 3章6節

 

 私は25年前に洗礼を受け、クリスチャンになりましたが、家族や

親類にクリスチャンは一人もいません。ミッション・スクールの

出身ですが、30代半ばに本格的に聖書と出会うまでは、信仰とは

ほぼ無縁の生き方をしていました。

 父の死をきっかけに教会に導かれ、聖書を読むようになり、

長い求道を経て、晴れてクリスチャンになったのは8年後のこと。

信仰への道は、百人いれば百様に、千人いれば千人とも違います。

それは神さまが、その人への特別な〝時〟を用意しておられるから。

だから信じて間もなく受洗する人もいれば、私のように〝時〟が

整うまで8年もかかる人もいるのです。

 

 私にとって8年は不可欠の時間でしたが、それは短い歳月では

ありませんでした。永遠に神さまの〝時〟が来ないのでは‥と、

焦ることもたびたび。教会の宣教師さんや先輩クリスチャンの

励ましが大きな支えになりました。

 

  私が植えて、アポロが水を注ぎました。

  しかし、成長させたのは神です。

 

 まさにこの聖句の通りです。土を耕してくれる人、種を蒔いて

くれる人、水や肥料を与えてくれる人、害虫から守ってくれる人、

思い返せば、いつも傍には温かく導いてくれる師、多くの信仰の

友の祈りがありました。そして、それにもまして特筆すべきこと、

それは目には見えないし、手で触れて確かめることができない

けれども、日々、信じる者を見守り、手入れをし、成長を促し

続けておられる神さまの存在です。

 神さまの忍耐には感謝しかありません。

 

☆☆☆これは、おまけ。最近のハンドメイドです☆☆☆

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 今年もクリスマス用のカードを量産中。教会の皆さんに喜んで

いただけるよう、パワー全開で作りたいと思います(#^^#)

「津波てんでんこ」

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 NHKの朝ドラ「おかえりモネ」の最終回は、時を超え、来年の

夏頃の設定でエンディングを迎えました。未来に着地するとは、

あまり記憶にない終わり方ですね。

 そして、「コロナ」というワードは出てきませんでしたが、

語らずとも分かる試練の歳月を、TVを見る側の私たちも、一緒に

共有してきたかのような、リアル感たっぶりのシーンでした。

 あえて共感しづらいテーマに焦点を当て、視聴者の心に問い

かける、質の高い、余韻の残るドラマでした。そして希望が見える

秀逸な最終回に拍手です(*^^)v

 ちなみに最終回、砂浜で遊ぶ子供たちの一人は、親戚筋の

女の子でした。一生の素敵な思い出になったことでしょう(*^^*)

 

 ドラマの中では用いられませんでしたが、三陸地方、特に岩手県

辺りに伝わる言葉で、「津波てんでんこ」というのがあります。

リアス式海岸の風光明媚な三陸地方ですが、地形柄、津波による

被害も多く、「津波が来たら、命てんでんこ」という、体験者の知恵、

教訓が人々の心に根付いていったのでしょう。

 

 「てんでんこ」とは、「てんでん」=「各自」、「めいめい」

という言葉に東北の方言「こ」がついた言葉です。東北人はよく、

名詞に「こ」をつけます。たとえば、こんなふうに‥。

   「“ あめこ ” あるから、 “ おちゃこ ” のむべ!」

              ↓

 「飴があるから、お茶を飲みましょう」

 Wikipediaによると「津波てんでんこ」は、「津波が来たら、取る

物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに、一人

高台へ逃げろ」「自分の命は自分で守れ」という意味になるそうです。

そして、「自分は助かり、誰かを助けられなかったとしても、それを

非難しない」という不文律であるとも。

 

ドラマの中で、みーちゃんが、おばあちゃんを置いて逃げたという

自分への責めも、切ない「津波てんでんこ」にまつわるものでした。

 

私も10歳の時に起きたチリ地震津波の時は山に逃げました。

東日本大震災の時、姉も着の身、着のままで高台へ走りました。

地震津波=山へ逃げる」。これは気仙沼人の常識です。

気仙沼に限らず、海沿いに住む人の心と体に刷り込まれた、強い

防災意識と言えるのではないでしょうか。

 

みーちゃんのように、大切な人を置いて逃げるという瞬時の判断は、

その人を後々まで苦しめるかもしれません。でも、共倒れして

被害が拡大するのを防ぐためにも、日頃から「津波てんでんこ」の

約束事を共有しておくべきだと、強く思わされました。

秋天がキャンバス ~空いっぱいの鯖雲~

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       八木 重吉

 

  くもの ある日

  くもは かなしい

  くもの ない日

  そらは さびしい

 

空いっぱいに広がる、白い鯖雲がとてもきれいだったので、

スマホでベランダから写してみました。

 

雲が多いと青空が隠れてしまうので、何となく物悲しい。

真っ青な空も、一片の雲がなければ、ちょっと味気ない。

 

空に雲があるか、ないかということは、その時の心模様で

受け止め方も違ってくるのでしょうが、重吉の素朴な感受性は

とても分かりやすく、共感できますね。

 

それにしても、天高く馬肥ゆる秋。

澄み切った碧い空を見ると、心が浄化されるようです。

豊富な秋の味覚が食欲をそそります。空気も食べ物も美味しくて

馬も人も肥ゆる秋。先日、健康診断が終わり、つい気が緩み、

食べ過ぎ傾向にあるので、要注意ですが(^o^;)

 

コロナの勢いも収まってきましたが、まだまだ油断は禁物。

行楽日和が続いても、動き出すには、もう少し様子見が必要

ですね。今もStay Home継続中。チマチマと絵を描いたり、

小物作りをして時間守りをしています。

 

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布の切れ端を縫い合わせたティッシュケース。もっと、ミシンの

練習をしなければ‥。毎度、反省しきりの作品です(^o^;)

脳トレに 言語学習アプリを始める

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昔、脳に刷り込んだものはけっこう憶えているのですが、

近年、新たに覚えたものは、見事にすぐ忘れます。

これを俗に言う、「歳のせい」なのでしょうね。

ただ、このまま新しい知識が忘却の彼方へ消えてしまうのは

もったいない。少しでも脳を刺激することを始めないと‥。

 

何を取り入れるのが良いか思い巡らせていると、そうそう、

昔、教会でドイツ語を学んでいたことを思い出しました。

スイス人宣教師さんが、子供向けには英会話クラス、

大人向けにはドイツ語クラスを受け持ち、教えてくれていた

時期があったのです。ドイツ語はまったく初めてでしたが、

初歩の初歩から懇切丁寧に教えてくださるので、 とても

楽しく学ぶことが出来ました。2年間くらいだったと思います。

 

ドイツ語のルター訳聖書を用いて、毎回、レッスンの最後に

聖句を一箇所、読んでいました。

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  Ihr seid das Salz

    der Erde.

  Ihr seid das Licht

    der Welt.        Matthäus 5,13・14

 

 「あなたがたは地の塩です。

  あなた方は世の光です。」  (マタイの福音書5:13-14)

 

もうすっかり忘れたと思っていましたが、幾つかの単語は

覚えているものですね。おぼろげな記憶をたどって、再び

ドイツ語に挑戦してみようかという気持ちが湧いてきました。

 

ただ独学では壁にぶつかり続かないと思い、今どきの良い

学習法はないかと探していると、初心者でもOKの無料アプリ

Duolingo(デュオリンゴ)という言語学習アプリにヒット。

本当に一歩ずつ、ステップアップして行けるので、三日坊主の

人にも続けられるのではないかと思います。

1日5分という触れ込みで、確かにスタート時には5分でも

十分でしたが、レベルアップと共に5分、10分、15分とかかります。

キャラクターのDuo君がエールを送ってくれるので、とにかく

なんとかノルマを達成し、なんと、今日で連続120日となりました。

4ヶ月、よく続いたなあ‥と心の声。

 

頭を回転させるので、脳トレには効果的なアプリだと思います。

ちょっとの隙間時間を作れる方には、ぜひお勧めです。

『おかえりモネ』 ~橋を渡るということ~

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                 宮城県気仙沼市・唐桑の海

 

NHKの朝ドラ『おかえりモネ』も、はや終盤に‥。

どんなエンディングになるのか、ワクワクしながら見ています。

 

3.11、地元の大津波の惨状を、この目で見ていなかったモネ。

その事実に、ずっと後ろめたさや負い目を払拭できずにいた

モネですが、たくさんの人との出会いの中で成長し、葛藤を

乗り越え、目標が定まり、ついに地元に戻る決断を下します。

 

気象予報士となったモネは、震災後に開通した“橋”を初めて渡り、

帰郷します。モネの実家がある亀島(大島)と本土をつなぐ橋は、

事実、気仙沼市民にとって長い間の夢でした。

 

船で渡れば30分もかからず大島に着きます。ただ、有事の時に

橋があれば‥という思いは、ずっと市民の心の中にありました。

1960年のチリ地震津波は、その思いをより深める出来事でした。

 

東日本大震災から8年後の2019年4月、市民の悲願であった

夢の架け橋が開通しました。昔を知る者にとって、架橋の実現は

本当に画期的なことです。生前、建築業に携わっていた義兄の

大志でもありました。堂々とした構えの白亜のアーチ橋を、

義兄にも見てほしかったと心から思います。

 

橋が出来たことで、大島と本土をつなぐ定期船は100年の歴史に

終止符を打ちました。

 

カッパえびせん(餌)に集まる海猫(カモメ)との楽しい船旅は、

気仙沼の風物詩の一つでもありました。私も進学で地元を離れる

までの15年間に、家族や友だちと何回、この船に乗ったことか。

私の心には、橋の完成の喜びと、あの光景はもう見られないという

寂しさが、ずっと隣り合わせで残ることでしょう。

 

モネは「津波を見ていなかった」「何も出来なかった」という

心の傷に真摯に向き合い、それを踏み台にして、一歩、前に

進みました。橋には“つなぐ役割を果たす”という意味があります。

橋を渡るということは、不十分、不完全なものを修復し、整える

ことに通じます。橋を渡るのは勇気をもって一歩を踏み出すことで、

このドラマのテーマの一つとも言えるものです。たとえ橋が出来ても、

渡ったとしても、いつも順風満帆というわけではありません。でも、

一つ前へ進むことの大切さを、このドラマは教えてくれます。

 

朝ドラに多いヒロイン一代記と違い、ドラマチックな展開では

ありませんが、モネの心の動きや成長の過程が、ゆっくり、丁寧に

描写され、静かな時の流れに心地よさを覚えます。登場人物たちの

滋味あふれることばには共感するものが多く、いわゆる悪役と

言われる人が登場しないのも、安心して見ていられます。

 

一日の始まりに、爽やかな風を吹き込んでくれる、純文学のような

調べの作品に出会えたこと、舞台が懐かしい郷里であったことも

本当に良かったと思っています。

 

人はなぜ 糸を編むのか

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もう何十年も前のこと。子どもが学校から帰るまでの時間を

利用して、蒲田にあるユザワヤの編み物教室に通っていました。

当時は相模原に住んでいましたから、ゆうに往復3時間はかかる

距離。若い時はエネルギーがあるのですね。修了証書も無事、

いただくことができました。

 

ご近所に編み物が得意な友人がいて、作り目から教わったのが

まず第一歩でした。彼女が生み出すアートのような作品群に

魅了され、一本の糸から生まれるミラクル・ワールドに、

すっかり嵌ってしまいました。

 

家族用(4人分)を1シーズンに2、3枚ずつ編むのですから、

いったいどれだけの枚数を編んだのでしょう? 何か取り憑かれた

ように熱中していた十数年間は、なんだったのでしょうね。

 

毎年、YMCAのスキー教室に参加していた二人の息子のために、

とにかく軽くて温かいセーターを着せたいという母心。それが

大きなモチベーションだったのかもしれません。当時、買い漁った

バーゲン品の毛糸が、まだ少し押し入れに残っています。

 

夫の家系が超がつく長身族。わが家の息子たちも上背があります。

成長と共にセーターのサイズもどんどん大きくなって、編むのに

時間がかかるようになり、いつしか編み物熱もフェイドアウト

今は、たまに自分用のものを編むくらいです(^o^;)

 

最近、ニットデザイナーである友人から機械編み用の極細糸を

大量にいただきました。もう大作は編む気力はありません。そこで、

写真にあるように、カードのパーツ用に使わせていただいてます。

味のある、段染めのグラデーションが気に入っています。

こんな糸の使い方もまた面白いですね。

 

人はなぜ糸を編むのか?

糸を編む時、それを贈る人への思いが籠もります。ちょっと俗っぽい

言い方ですが、糸は人をつなぐ身近な表現手段。思いを形にする

ために、人は糸を編むのかもしれません。

 

   「少年の日」  

             佐藤 春夫

 

 四、君は夜な夜な毛糸編む

   銀の編み棒に 編む糸は

   かぐろなる糸 赤き糸

   そのラムプ敷き  誰がものぞ。

   ※かぐろなる=黒々としている

 

あえて “じゃがいも” を描く

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絵画教室では、きれいな花や特徴あるオブジェをモチーフに

描くことが多いのですが、時間がたっぷりあるコロナ禍中の今、

あえて、平凡な “じゃがいも” を描いてみました。

手を変え、姿を変え、味つけされて食卓に登場する常備菜

そんな、ごくありふれた野菜ではありますが、よく見ると

一個一個、形も表情も違って面白い素材であることに

気が付きます。単純ゆえに、むしろ絵にするのは難しいのですが、

身近なものを観察して描くのも、良い勉強になります。

 

身近なものを素材にした、星野富弘さんの詩画集の中にも、

“じゃがいも”をモチーフにした詩画がいくつかあります。

 

  じゃがいもの花

       

 泥だらけになって

 じゃがいもを

 掘っていた時

 ふと見上げた空が

 手でさわれそうなほど

 近かったことを憶えている

 高い所にあこがれ

 山の頂に

 立った時

 なんにもない空が

 果てしなく遠かったことを

 憶えている

          『鈴の鳴る道』(偕成社)より

 

柔らかい土の感触、空を仰いだ時に感じる天の高さ。

純真無垢な子どもの頃に感じた懐かしい感覚が、

ふと、五感によみがえるようなフレーズが快いですね。

 

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ベランダでのプランター栽培ですので僅かではありますが、

今年も大小取り混ぜ、収穫することができました。

 

他の食材と、あまりケンカすることのない頼りになる料理番の助っ人。

そんな “じゃがいも” が大好きです。