シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

No Rain, No Rainbow. 

 

 


 今はほとんどアップデートを果たせていない、不真面目な管理人では

ありますが、あるSNSで「ことばの宝石箱」というコミュニティを運営

しています。日々の暮らしの中で、心に響いたことばを多くの人と分かち

合いたい。そんな思いで立ち上げたコミュニティです。

 皆さんがここに寄せてくださった一つひとつのことばには、力があり、

心の拠り所になっています。どれも珠玉の名言ばかりですが、その中でも

私が特に素敵だなと思ったのが、このフレーズです。

 

 No Rain, No Rainbow. 

 

 ハワイのことわざで、直訳すると「雨が降らなければ、虹は出ない」。

 

「雨が降ったおかげで、きれいな虹が見られる」

「つらいことがあっても、きっと未来には良いことが待っているはず」

「苦は楽の種」 

そんな希望の種が秘められたメッセージが伝わってきます。

 

 聖書において、「虹」は平和のしるしを表します。神さまは罪に満ちた

人間の世界を一度リセットしようと、大洪水を起こされました。有名な

ノアの洪水の話です。神さまのことば通りに方舟(はこぶね)を作り、

いのちを得たノアが見たのは、空に架かった美しい虹でした。それは、

「もう二度と洪水を起こし、人間を滅ぼさない」という神さまの約束の

しるしでもありました。

 

 「わたしは雲の中に虹を立てる」(創世記9章13節)

 

 Rainbowのbowは「弓」という意味です。戦いの武器ともなる弓が

雲の中に置かれる。それは平和であることのしるしにもなります。

 今、土砂降りのような困難な状況のただ中にあっても、雨が止めば、

きっと澄んだ青空に虹が出ることを、私たちは知っています。だから、

思い煩うことをやめ、神さまの約束のしるしである虹を待ちたいと

思います。たった1行だけ。短いフレーズですが、このダイナミックな

ことばを、心の救急箱に入れておこうと思います。

 

※写真2枚:

 しばらく雨が続いていた川崎でしたが、今日は青空が広がりました。

虹は出ませんでしたが、木瓜の花がほころび、ネモフィラも我も我もと、

顔をのぞかせています。いよいよ、春近しの良い季節になりましたね。

 

 

しあわせを編む魔法の毛糸

  

 

 寒い冬、電車通学する中学2年生の孫のためにマフラーを編んであげ

ました。気に入ってくれたのか、「あったかいよ」と、いつも首に巻いて

いてくれます。そんなに喜んでくれるのなら、学校まで徒歩5、6分しか

かからないけれど、小学6年生の妹にも編んであげようかなと、毛糸を

探しに岡田屋さんへ。

 

  30代の頃、蒲田にあるユザワヤまで編み物を習いに行っていました。

その頃に買い集めた毛糸も残り僅か。しかも女の子がいなかったせいか

色も黒、グレー、茶と地味な糸ばかり。久しぶりに店頭に並ぶ毛糸を見て、

種類の豊富さにビックリしました。

 単色の糸はもちろんですが、今は段染め糸が主流なのか、色とりどりの

暖色系、寒色系の毛糸がズラ~リ(・o・) これはチョイスが難しい!

悩みに悩んでピンクや若草色が入ったパステル調の毛糸を選びました。

 

 「梅村マルティナ気仙沼FSアトリエ」で販売しているオパール糸という

ものです。この毛糸の存在は、これまでメディアでも取り上げられていて、

うっすらとは知っていましたが、この購入を機に詳しく知ることに…。

 

 マルティナさんは東日本大震災発生当時、京都に住んでいましたが、

被災地の惨状に心を痛め、少しでも気持ちが紛れればと、気仙沼

編み物のセットを送ったことを機に、会社を設立するに至ったそうです。

もし自分が避難所で生活することになった場合、いちばん欲しい物は何か。

つらい時でも無心に手を動かせる編み物なら、きっと心の救いになる。

そう考えて、母国南ドイツの毛糸を取り寄せることにしました。

オパール糸はドイツ生まれの毛糸だったのですね。

 

 福島の原発事故もあり、日本在住のドイツ人には帰国命令が出たそう

ですが、マルティナさんは「日本の友達を残して帰国できない」と言う

息子さんの言葉に同意し、復興支援の道を決めたそうです。私の恩師でも

あるドイツ人宣教師もまったく同じ思いで日本に残り、原発に近い教会の

信徒とその家族に方々を一年間受け入れて、お世話をしました。到底、

きれい事では語れない尊い行動があったことは、もっと声を大にして

伝えていくべきではないかと思っています。

 

 さて、このオパール糸。本当に魔法のような不思議な糸でした。

段染め糸とは1本の糸に複数の色が配列されている糸のことで、模様が

どう変化していくのか、どのような仕上がりになるのかが分からない

面白さがあります。基本となるメリヤス編みを編んでいくだけで、

きれいな模様が浮かび上がってくるのですから、実に楽しい。ワクワク感、

ドキドキ感がいっぱいです。一瞬でも辛い現実から逃避できるとすれば、

それは編み物の醍醐味ですね。

 まさに、しあわせを編む魔法の毛糸。出会えたことに感謝です。

「マルハラ(マルハラスメント)に隔世の感あり

     ※雪にもめげす開花した健気なネモフィラ
   

 つい先ごろワイドショーで「マルハラ」という言葉があるのを知り、かなり

隔世の感を覚えたところでした。「マルハラ」とは「マル・ハラスメント」の

略語なのだそうです。と言っても、どんな意味? となるのは中高年の証拠?

 

 今、若者の間ではLineなどのやり取りで、文末に「。」をつけないのが

当たり前と聞いて、「え? そうなの?」といささかビックリ!  当然のこと

ながら、文の切れ目には読点「、」を、文の終わりには句点「。」をきちんと

つけなさいと学校で習った世代。「。」がない文には違和感しかないのですが…。

 

 LineやSNSで発信する若者は、文章を書くというのではなく、あくまで会話を

楽しむという感覚なのでしょうか。 例えば「わかりました。」「了解。」

のように「。」がつくと、威圧感や距離感、怒っている感じを受け、相手の

テンションが読み取れず恐い。「。」で区切られると、シャットアウトされた

ような冷たさを感じるのだとか。 

 

 ガラケー世代の私たちは、比較的、長めの文を書く傾向もあって、相手が

読みやすいように、一呼吸入れる意味で「、」や「。」を入れるのが当たり前に

なっているのでしょうね。だからマルハラと言われても、体に刻み込まれた

習慣は、おそらく直らないでしょうし、さらに言うと直すこともないかなと…。

 

 歌人俵万智さんが、ガラケー世代の違和感を払拭するような歌を詠んで

くださっていて、胸のつかえが下りました。

 

   優しさに ひとつ気がつく

    ☓でなく ○で必ず終わる日本語

 

 やはり日本語は、「。」で終わりたい世代の呟きでした。

とにかく、メモを取る習慣を身につけること

  若い頃は聞いたことが一度で頭に入ったものですが、最近は一度聞いた

だけでは覚えられない。覚えてもすぐ忘れるということが日常茶飯事に。

いろいろな世代とも会話が弾むように、せめて新しく覚えたことをメモして

おくことも大事かなと思っています。

 

 そこで、暮らしの手帖社編「暮らしのヒント集」からの引用です。

 <第五集333>

 わからないことや知りたいことに出合ったらメモをとりましょう。

 それを入れる箱を用意して、一ヶ月や半年ごとに調べる習慣を持ちましょう。

 

 ちょっと耳を澄ますと、世の中には新しいことば、新しい情報が満載です。

なかなか追いつけそうにありません。会話の前後や文の脈絡から、ぼんやり

内容はつかめても、消化不良の苦笑い…という場面が多々あります(~_~;)

 

 「暮らしのヒント集」では箱を用意することの勧めが書いてありますが、

箱ではなくとも、小さなメモ帳一冊あれば良いでしょう。 気になる言葉に

出会ったら、ひとまずメモを取りグーグルで調べてみる。 次から次へと世に

出る新語、横文字、略語、造語をメモするだけでも、すぐに一冊の地引が

できそうですね。

 

 年はとっても、なんとか時代の波に浮き上がったり、落ちこぼれたりしない

ためにも、最低限の防波堤は必要ではないかと切に思います。誰に見せる

わけでもない自分用のメモ帳なら、今さら聞けない言葉でも全然OK。 

有耶無耶にしておくより、意味や使い方を正しく覚えるほうが、モヤモヤ解消に

つながると思います。

 

 最近、和綴じの方法を覚えたので、裏紙利用の雑記帳を作ってみました。

さあ、これから分からないことや知りたいことに出会ったら、即このノートに

メモして、オリジナル・ディクショナリーにしたいと思います。

目指すはミニマリスト、明窓浄机の心得で

    

 最近よく目にするミニマリストという言葉。その定義はいかに?と調べて

みました。ミニマリストとは、「最小限の」という意味のminimal(ミニマル)

から派生した造語で、必要最小限の持ち物だけで暮らす人のこと。自分に

とって本当に必要で価値ある物だけを厳選することで豊かに生きられるという、

現代の大量生産・大量消費社会において新しく生まれたライフスタイル」

なのだそうです。

 

 “生活は質素に、志は高く”というW.ワーズワースの言葉がありますが、

これを持続していくのは、なかなか難しいところ。私の書斎、というと聞こえは

いいのですが、実際は作業場、兼、物置です。元々は長男の部屋。机や本棚

などの家具も当時のまま。更にもう一つ作業台を置いたので、やっと人が

通り抜けできる狭さの中で、ソロリソロリ、縮こまって暮らしています。

 

 作業台の上には絵を描いたりカードを作ったりするための絵の具や筆や

鉛筆やペン類が、ちょっと触れば落っこちんばかりに置かれているので、

椅子に座るにも息を潜めながらの状態です。この現状ではミニマリストなど

夢のまた夢ですね(^o^;) いったい幾つ同じようなものが並んでいるのか…。

 

 他にも「スペア用」として買い置きした物も多く、自分でもどれだけあるのか

把握できていないのが問題です。いきなり物を減らすことにはためらいが

ありますが、極力、必要最低限のものに整理整頓し、「あれはどこだっけ?」と

在り処を探す手間だけでも短縮できたらと思っています。それに物が少なければ

ホコリも積もりにくく、作業スペースも広くとれるし、メリットは大きいはず。

 

今年の目標は「明窓浄机」の心得を貫くこと。明窓浄机とは字の如し。

明るい窓と掃除が行き届いた清潔な机の意味。転じて学問をするのに適した

明るく清らかな場所という意味になるそうです。私の場合は学問というより

趣味を楽しむ場所ですが(~_~;) いつも心地よく机に向かえるように、これから

為すべきことは―。 必要な物だけを買うこと、できるだけ長く使えるものを

選ぶこと、衝動買いをしないこと、机にホコリが積もらないよう、定期的に

整理整頓することを心がけたいと思います。

 

被災地に届け、賛美歌「遠き国や」の歌が

    

 

 能登半島地震に遭われた方々が、今も厳しい寒さの中で避難生活を

強いられていることに心が痛みます。当地にいる人にしか分からない

本当に必要な支援の手が差し伸べられるよう、祈るばかりです。

 

 大きな震災が起こった後、私はいつも「遠き国や」という賛美歌の

歌詞とメロディが浮かんできます。以前、NHK教育TV「ゆかいなコン

サート」で歌のお姉さんを務めたこともある、森祐里さんというゴスペル

シンガーがいます。実は森さんとは以前、同じ町内に住んでいたことが

あり、ほんの数回程度ではありますが、ファイリングのお手伝いをした

ことがあります。森さんは阪神大震災で当時22歳だった弟さんを亡く

されました。震災後はコンサートなどを通して被災者を元気づける活動を

続けていらっしゃいます。

 先日17日も、大阪で催された「追悼の祈り会」で阪神・淡路大震災

東日本大震災能登半島地震尊い命を失った方々や、そのご遺族の

ために賛美歌を7曲歌ったという記事が紹介されていました。森さんは

「命の続く限り、被災地に心の救援物資となる歌を届け、弟のいのちを

つないでいきたい」と話していたそうです。

 

 ゴスペルシンガーのTAKEOさんが「遠き国や」を歌っているYoutube

見つけたので、ここに貼っておきます。心に響く歌声をぜひお聞きください。

TAKEOさんは以前、私が通う教会のコンサートでも歌ってくださった方。

♪ピッチピッチ、チャップチャップ、ランランラン を ♪ピンチ ピンチ

チャンス チャンス ランランランと、言い換えて歌っていたのが最高

でした(*^^)v

 

    「遠き国や」(教会福音賛美歌436番)

 

 1.遠き国や海のはて いずこに住む民も見よ

   慰めもて変わらざる 主の十字架は輝けり

  (くりかえし)

   慰めもて汝がために 慰めもて我がために

   ゆれ動く地に立ちて なお十字架は輝けり

 

 2.水は溢れ火は燃えて 死は手広げ待つ間にも

   慰めもて変わらざる 主の十字架は輝けり

 

 3.仰ぎみればなど恐れん 憂いあらず罪も消ゆ

   慰めもて変わらざる 主の十字架は輝けり

 


www.youtube.com

 

 この賛美歌は、関東大震災を経験した宣教師J.V.マーティンが作った

ものです。彼は震災のあった夜、余震が続き、火事も残る街中で、十字架の

光を見たのです。マーティンがつけた元々のタイトルは「There’s A Light」。

訳すと「光がある」。彼は、絶望に覆われる夜に、キリストの光、希望の

光を見つけ、この曲を書き上げました。

     (PBA太平洋放送協会「世の光」 賛美歌紹介から一部引用)

 

 There's A Light. “光がある”

今、苦境にあえぐ方々が、この光を見出すことができることを祈りつつ…。

“津波てんでんこ”の教訓を胸に

                 気仙沼市・岩井崎の潮吹岩
    

 元日から悲しみの絶えないニュースが続き、胸が痛みます。

昨日もネットで悲しい記事を読みました。肺を患い寝たきりの父親を置いて

100メートル先に迫りくる津波を背に、必死に逃げた息子さんの話でした。

父親にかけた最後の言葉が「じいちゃん、置いてくぞ」だったとは…。

どんなに後髪引かれ、胸が張り裂けそうな思いだったのでしょうか。

 

 三陸地方では津波襲来時に備えた一つの言い伝えがあります。

津波てんでんこ”と言って、津波の時には「てんでんに」、つまり「各自」

「めいめい」「てんでんばらばら」に逃げることという、命を守ることへの

過去の教訓を生かした合言葉のようなものです。

 

 3.11の東日本大震災の時、この防災意識が功を奏し、岩手県釜石市

小中学生が教えを実践し、多くの命が助かったという事例が話題になり、

「釜石の奇跡」と言われたのを覚えています。

 

 でも、こうした事例は美談で終わらせてはならない、もっと深く、もっと

重い認識が一人ひとりに必要だと思うのです。一瞬の判断が人の生死を分ける

のです。“津波てんでんこ”は正しい、という相互理解がどうしても必要です。

後で自責の念や罪悪感に陥らないように、また誰かを責めたり非難しないように、

そういう暗黙の了解の上に成り立っている教えだからです。

 

 以前、“津波てんでんこ”というブログ記事を書いていました。併せて

お読みいただけたら嬉しいです。

 

fantsht.hatenablog.com

 

 迫りくる津波を目にし、このままでは家族全員が死ぬと、とっさに判断

できた息子さんの行動は、私たちも心に留めておくべきだと思います。

逃げるという行動が、戸惑い、迷う人を促すことにもつながるはず。一人でも

助かる可能性があるのなら、“津波てんでんこ”の教訓はぜひとも生かして

いかなければ…。そう強く思います。