シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

クリスマスカードを作る季節がやって来た


毎年季節ごとに、ブログに書く話題が似たような内容になって

います。一介の主婦の持つ引き出しの中身など、たかが知れて

いますから、いつも乏しい持ちネタの中から、絞り出すように

して書いています(^o^;)

 

この季節、まだクリスマスの準備には早すぎると思われるかも

しれませんが、私にとってはカード作りのスタート時期。

もう10年以上にもなりますが、作ったカードを教会に献品し、

教会員の方々にお買い上げいただき、その収益金をクリスマス

献金として捧げています。

 

他にリクエストがあれば、教会員以外の方にも作って差し上げて

います。もう10年若い頃は、100部以上でも余裕で作れましたが、

目も指も怪しくなってきた今は、50~60部が限界かも…。

でもカード作りは私の最も楽しい趣味の時間ですので、時間の

空く限り、アイディアが浮かぶよう、頭を巡らせています。

 

図案が決まるまでが、産みの苦しみというか、一苦労ですね。

図案が決まり、一枚サンプルを作ってしまえば、そこから先は

幸せな作業。至福の趣味の時間となります。1図案✕5枚ほどを

手を休めず黙々と作り続けます。

 

一応、主婦ですから、家事の合間の僅かな時間を利用して、

作業部屋にこもります。描いたり、塗ったり、材料を選んだり、

切ったり、貼ったり…と、たぶん皆さんが想像する以上の工程が

あり、頑張っても、一日に3枚完成が精いっぱいでしょうか。

孫たちが来る日もあれば、外出して作れない日もあるので、後で

慌てないためにも、この時期からスタートするというわけです。

まだ図案は5、6種類くらい。こんな感じです(*^^*)

 

 

もともと手仕事は好きな方ですが、カード作りが最も楽しい

作業かもしれません。材料を前に、フッとアイディアが降りて

きた時とか、「ヤッター!」という気分になります。

時間と根気さえあれば、それでOK。実に安価な趣味を持つことが

本当に嬉しい限りです。

 

さて、今年は何枚できるかな? ひとまず、頑張ります(*^^)v

「敬老の日」~思いを新たに~

 

          ホトトギス

 

9月19日夜、中学生と小学生の孫から電話が来ました。

「今日は敬老の日だから、電話したんだよ」と。

 

もう、「敬老」の対象であることは重々承知していますが、

忌憚のない孫たちの言葉によって正真正銘、れっきとした

老人であることを自認するに至った次第です(~_~;)

 

9月初旬、教会で発行している教会便りに、「老い」を扱った

記事が掲載されました。少し長いですが聖書の当該箇所のみを

紹介したいと思います。

 

「その日、家を守る者たちは震え、《 腕が弱る 》

 力のある男たちは身をかがめ、    《 足腰が弱る 》

 粉をひく女たちは少なくなって仕事をやめ、

              《 歯が減り、噛む力が弱くなる 》

 窓からながめている女たちの目は暗くなる。 

              《 視野が狭くなり、視力が落ちる 》

 通りの扉は閉ざされ、           《 両耳、聴力の低下 》

 臼(うす)をひく音もかすかになり、     《 声が出なくなる 》

 人は鳥の声に起き上がり、         《 浅い眠りと早起き 》

 歌を歌う娘たちはみな、うなだれる  《 ことばの混乱 》

 人々はまた高いところを恐れ、     《 高所恐怖 》

 道でおびえる。                    《 不安 認知症 徘徊 》

 アーモンドの花は咲き、            《 白髪になる 》

 バッタは足取り重く歩き、          《 歩行困難 》

 風鳥木(ふうちょうぼく)は花を開く。《 生殖能力の衰え 》

 人はその永遠の家に向かって行き    《永遠の家=墓?》

 嘆く者たちが通りを歩き回る。      《 葬儀の準備 》

 こうしてついに銀のひもは切れ、金の器は打ち砕かれ、                 

                 《 血液循環器系統の故障 》

 水がめは泉のかたわらで砕かれて、

 滑車が井戸のそばでこわされる       

                  《 内臓の機能不全 》

 土のちりは元あったように地に帰り、

 霊はこれを与えた神に帰る。」       

               (伝道者の書12章3-7節)

 

聖書は肉体の衰えを、ただネガティブに捉えるのではなく、

比喩を用いて淡々と、ありのままの現実を描写しているのが

分かります。そして老いの事実を受け入れながらも、内面を強く

保ち、ポジティブに生きるにはどうすれば良いか、示唆を与えて

くれます。

 

「人はその永遠の家に向かって行き」とありますが、イエスさまは

わたしを信じる者には、「あなたがたの住まいを用意しておく」と

約束されています。老いと死の先にある、この世の墓ではない

「永遠の家」に目を向けること。ここに確かな望みがあります。

 

これから後、肉体の弱さを覚える日々は増えていくでしょう。

でも、老いの重荷に打ちひしがれることなく、尚も永遠の住まいに

希望を抱いて向かって行く、ゆとりあるアクティブ・エイジングを

目指したいものです。

 

 

ドキッとさせられる格言集から

                   鷺草(さぎそう)

ネットで調べ物をしていた時、ドキッとさせられる格言を

集めた記事に出会いました。「人の本質を表す10か条」――。

 

1.性格は「顔」に出る。

2.生活は「体型」に出る。

3.本音は「仕草」に出る。

4.美意識は「爪」に出る。

5.清潔感は「髪」に出る。

6.気配りは「食べ方」に出る。

7.芯の強さは「声」に出る。

8.ストレスは「肌」に出る。

9.落ち着きのなさは「足」に出る。

10.人間性は「弱者への態度」に出る。

 

あまりにも的を射すぎていて、うなずき、苦笑するしかない10か条。

一つ一つ我が身に置き換え、姿勢を正す必要を感じています。

 

2.生活は「体型」に出る。

ほんとにそう。食欲をコントロールするのは思ったより難しいもの。

つい好きなスイーツにも手が伸びてしまいます。もちろん、結果は

しっかり「体型」に反映されて…。

 

また、楽な服装、楽な姿勢でいると骨格までルーズになるのか、

ふと、ショーウィンドウに映った我がシルエットは、割り引いて

見ても、年齢+2~3歳。ドキッとします(@_@;)

 

4.美意識は「爪」に出る。

これにも、なるほどと思わされました。美意識の高い人は、時間と

お金をかけて手のケアもします。でも、例えば足の小指の爪などは

どうでしょう。まあ、それなりの手入れはするかもしれませんが、

あまり人の目に触れないところは、まあ、それなりに…という人も

多いと思うのです。もし爪の、先の先までも神経が行き届き、

完全無欠であるのが真の美意識なら、守り通すのは至難の業かも。

 

6.気配りは「食べ方」に出る。

これもよく分かります。よくお見合いしたカップルの、結婚決断の

決め手の一つに、相手の「食べ方」を挙げる人が多いと聞きます。

本来、食べるという行為は神聖なもの。そこに何か不快感を覚える

要素が一つでもあったら気になって、食事も話も弾まないでしょう。

食べ方に配慮が足りない人は、お見合い向きではないかもしれません。

 

10.人間性は「弱者への態度」に出る。

「愛憎」という対義語がありますが、マザー・テレサはこう言いました。

「愛の反対は憎しみではなく、無関心である」と。

 

困っている人に、とっさに手を差し伸べることができるかどうか。

無関心でもないし、理性では分かっているし、愛を注ぎ、助けてあげたい

と思っていても、なぜか一瞬、ためらってしまう。私もそんな場面に

よく出会います。そして、とっさに行動できない、愛に欠けた自分の人間性

ガッカリすることも度々。でも、この無力感が、次の愛の行動へつながる

スイッチになるなら救いはある。そう思い直して自分を慰めています。

 

ここに取り上げなかった他のリストも、どれも「あるある!」と思うことばかり。

賢く生きる上で教訓となる格言、本当にありがたいですね。

深く教えられ、心に刻むことができました。。

 

今年も、シオンの花咲く路地を訪ねて

 9月4日(日)に誕生日を迎えました。

今年も家族や、たくさんの友人知人から電話やメールの誕生日

メッセージが届きました。心のこもったプレゼントにも感謝です(*^^*)

中学生の孫ハル君は、釣ってきたハゼを捌き、天麩羅とお刺身にして

ご馳走してくれました。

 いくつになっても、“私”という存在を忘れずにいてくれること、

これ以上の喜びはありません。

 

 誕生月の頃になると、狭い路地の一隅に決まって咲く花があります。

薄紫色のシオン(紫苑)の花。今年も約束したかのように、私の訪れを

待っていてくれました。風にそよぐ姿が可憐で、目に麗しいこと。

 

 シオンの花が好きなこともあって、ブログを書き始めた頃から

“しおん”をペンネームに使っています。シオンは聖書に頻繁に出て

くる言葉です。私はクリスチャンなので、できれば聖書に由来する

ペンネームがいいなと思っていました。そこで、いろいろ考えた結果、

“しおん”が浮上。さらに言うなら、“シオン”はイスラエル古称

つまり古い呼び方で、それが転じてクリスチャンの意味にもなると。

それが決め手となりました。

 

 さてここで、唐突ですが母校(女子校)の校歌の出だしを紹介します。

 

  ♪~ やまと おみなの かぐわしき 

 

 いかにも古くさい文語体ですね(~_~;) 

 でもなぜ、女子校の校歌? それは、もう少し古称について補足

したかったからです。 つまり「シオン」とは「イスラエル」の、

「やまと」は「日本」の古い呼び方であるということを。

 

 因みに校歌にある「おみな」とは「おんな」、つまり女性を表します。

「やまとおみなの かぐわしき」は、「香り高い日本の乙女たちよ…」と

なるのかな? 皆、何も考えず歌っていましたっけ。今さらですが(^o^;)

 

 シオンの花が咲く場所は、あまり人の手が入らない畑に隣接して

います。その辺りは年々、新しい家が建ち、景色も様変わりしました。

叶うことなら来年、再来年も同じ場所で咲いていてほしい。

そんな祈りを込め、今年も草むらのシオンを写真に収めてきました。

 

素晴らしいセーフティネットのある社会 ~ミレーの『晩鐘』から~

 古い読売新聞のコラム「編集手帳」を読み返していたら、福分という

耳慣れない言葉が目に留まりました。福分とは本来、幸運という意味の

ようですが、少し違った解釈もあるようです。

 ミレーの『晩鐘』の絵を例に、“福分”の説明が書いてありました。

  

   ※画像はネットのフリー素材からお借りしました。

 …授かった運に感謝して精いっぱい生きるのだが、身の程を心得て

背伸びはしない。それが福分のようである。

 …収穫したジャガイモと農具の傍らで手を合わせる妻。帽子を手に

こうべを垂れる夫。ささやかではあれ、授かった福分を、今日一日

まっとうできたことへの感謝だろう。

 

 ミレーの『落穂拾い』や『晩鐘』は、旧約聖書のルツ記を背景にして

描かれたと言われています。

 異国で夫と二人の息子と死別した姑ナオミと、夫を亡くした嫁のルツ。

二人はナオミの故郷に戻り新たな生活を始めます。生計を立てるため、

ルツは姑の遠縁に当たるボアズの畑で、落穂拾いを始めます。

 

 落穂拾いという制度があったことは、現代人には今ひとつピンと

来ないところですが、実は、何千年も昔に、このように貧しい層への

救済策、セーフティネットが確立していたことに驚きます。

 旧約聖書には、このように書いてあります。

 

 あなたがたが自分の土地の収穫を刈り入れるときは、

 畑の隅々まで刈り尽くしてはならない。

 収穫した後の落ち穂を拾い集めてはならない。

 また、あなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。

 あなたのぶどう畑に落ちた実を拾い集めてはならない。

 それらを貧しい人と寄留者のために残しておかなければならない。

 わたしはあなたがたの神、主である。   

               レビ記19章9-10節

 

 ルツの物語をさらに読み進めると…。

農園主のボアズは、異国人であるルツが献身的に姑のナオミに

仕える姿に心を打たれ、後に彼女を妻に迎えます。ボアズは

キリストの系譜に連なる人物です。その系図に女性の、しかも

異国人ルツの名前が書き加えられることも、確かに神さまの

ご計画のうちにあったのでしょう。

 

 夕暮れ時、一日の仕事の終わりを告げる晩鐘は、どんな音色で

広大な農園に響き渡ったのでしょうか。『晩鐘』の絵を見る度に、

想像力が掻き立てられます。 働きバチの日本人には、終業の鐘など

ナンセンスなのかもしれませんが、もし鐘の音を合図に仕事の手を

休め今日の働きを終えたことに感謝して一日をしめくくる。

そんな習慣があったなら、どうでしょうか? ホッと疲れを癒す

心の安らぎや、明日への活力が湧いてくるような気がするのです。

 

※写真のピーマンは農園ならぬベランダ菜園で収穫したもの。

 明日あたりはジャガイモも採れそうです(*^^*)

 

 

 

賢い人になるための7つの条件

 

古いノートを整理していたら、ユダヤの格言をメモしたものが

出てきました。きっといつか役に立つかもと思って、書き留めて

おいたのでしょう。

 

賢人になる七つの条件

 1.自分より賢い人がいる時は沈黙する

 2.人の話の腰を折らない

 3.答えるときに慌てない

 4.常に的を射た質問をし、筋道立った答えをする

 5.まず、しなければならないことから手を付け、後回しに

   できるものは最後にする

 6.自分が知らないときは、それを認める

 7.真実を認める

 

一言一句、なるほど、なるほどと頷ける格言ばかりです。

シンプルで分かりきったことですが、これを逐一実践するとなると

なかなか難しい。少しでもこの条件を満たそうとするなら、

心理学でいうモデリング、つまり観察学習が良いのかも‥。

 

“この人のようになりたい!”と思う人をモデル(お手本)にして、

その人の考え方や、生き方を具体的に自分の中に取り入れていく。

モデリングをすることで、違った価値観の発見にもつながるし、

反対に同じ価値観であれば、そうだよねと自己肯定感も得られます。

ぼんやりしていたセルフイメージ(自己像)も、少しずつ見えて

来て、アイデンティティー(存在価値)の確立にもつながります。

過去の偉人であれ、現代のヒーローであれ、あるいは身近な人であれ、

モデルは多くいるはず。賢い人を見つけたら、ちょっとだけ“我”を

引っ込めて、尊敬するモデルの真似をしてみる。それが最も早い

賢人へ近道なのかもしれませんね。

 私にも身近なモデルは何人かいます。ただ、私はクリスチャン

ですので究極の目標はイエスさま。その距離は果てしなく遠いけれど、

エスさまのご性質、品性に数ミリでも近づけるように、日々、

祈り求めていきたいものです🙏

 

 7つの条件を見ると、賢い人とは対人での話術において、

タイミングを心得ている人。物事の優先順序をわきまえている人。

現実を謙遜受け入れられる柔軟な心を持っている人のようです。

 

旧約聖書・伝道者の書3章7節にも、こう書いてあります。

「‥黙っているのに時があり、話すのに時がある。」

すべて、人の営みには “時” があるということ。機を見るに敏なれ

ということでしょうね。

 

またソクラテス無知の知という言葉を残しました。

自分が無知であることを知っている人こそ、真の知者であると。

固定概念や思い込みから解放されることの大切さを教えられます。

 

まとめ ――。

対話の際、ベスト・タイミングをつかむ叡智を身につけること。

自分の無知を自覚すること。

優先順序を間違えないこと。

素直な心で真実を受け入れること。

 

古い自分を脱ぎ捨て、憧れのモデルさんたちに教えてもらった

新しい装いをまとって、賢く爽やかに生きる道を歩み続けたいものです。

 

 

瑠璃色の空 満天の星月夜を仰ぐ

      星の形をしたルコウソウ

40代、50代の頃は、古今東西の名画に刺激を受けようと、

よく美術館に足を運んでいたものでした。当時はまだまだ

絵に対する情熱や向上心が大きかったのでしょうね(^o^;)

 

お気に入りの名画はいくつもありますが、今日はゴッホの絵を‥。

何度か行ったゴッホ展の中で、「夜のカフェテラス」という絵が

特に印象に残りました。ガス燈に照らし出されたカフェの様子を

描いたものですが、まず、その黄金色のまばゆさに目が留まり

ました。なぜここまで黄色を強調しているのだろうと。

 

 

集英社版「現代世界美術全集8」の解説書を読むと、この絵を

制作した頃、ゴッホは精神を病み、フランスのアルル地方の

病院で療養生活をしていました。白熱の太陽とひまわりを描く

ことに熱中していたゴッホですが、やがて心の中のより暗い部分に

目が向くようになっていったようです。美しい夜空と異常なまでの

ガス燈の黄色の対比は、ゴッホの心の中の葛藤を表現したものの

ようです。解説を読み、この絵を初めて目にした時の、なぜか

ザワっと心の軸が揺れた理由が理解できた気がします。

 

最も有名なのは、大きな糸杉のある「星月夜」という作品ですが、

夜空を描いたゴッホには、もう一つ「ローヌ川の星月夜」という

絵があります。個人的に、私はこれが一番好きです。

 

 

「星月夜」とは月のない夜に満天の星が輝いている様子のこと。

読み方は「ほしづきよ」とも「ほしづくよ」とも。星明かりだけの夜。

「しじま」を連想させるロマンチックな言葉ですね。

 

ローヌ川の上に輝く星をよく見ると、柄杓星。つまり北斗七星です。

天地万物を創造された神さまの、手のわざの表れである宇宙空間に

整然と配置する星座たち。一箇所たりとも同じ色はない夜空の、

滑らかな瑠璃色と、ローヌ川に伸びるオレンジ色のガス燈の陰。

じっと目を凝らすと、自分が広大無辺な宇宙の一隅に吸い込まれる

ような、そんな錯覚に陥ります。

 

星月夜は秋の季語。立秋の頃に見られる夜空だそうです。なかなか

星を見る機会がありませんが、今時のうっとうしいニュースを横に置き、

ロマンを求めて夜空を仰いでみるのも有りかもしれませんね。