シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

玉ねぎ麹の効能について

 


 以前から気になっていた玉ねぎ麹を作ってみました。

 ふだん使っている塩麹が食材を柔らかくし、とても良い感じなので、

麹のことを調べてみようとネットで検索すると、菌活とでも言うので

しょうか、役立ち情報の、なんと多いことに驚かされます。 その中で

万能調味料にもなるという玉ねぎ麹に興味が湧き、簡単に作れそうな

こともあって、さっそく試してみることにしました。

 

 材料は、

【米麹(生でも乾燥でも可)100g、玉ねぎ300g、塩35g】。

 作り方は、

① ボウルに米麹(乾燥)を入れ、塩を加えて手で優しく揉むように混ぜる

② 玉ねぎをすり下ろし(or みじん切り)、①に入れて混ぜ合わせる

③ ボウルは発酵が進むように、きっちり密封せず緩めにラップをかける

④ 朝晩、かき混ぜる

⑤ ピンク色に変わり、香りが甘くなってきたら完成。

(※常温で1週間~10日がめやす)

⑤ 消毒した保存容器に玉ねぎ麹を入れ、冷蔵庫で保存する

  (※1~3ヶ月で使い切る)

 

 玉ねぎに含まれるアリシンという成分は血流を良くし、内臓脂肪を減らす

ため、高血圧予防やダイエットにも効果があるそうです。そして米麹に

含まれるアミラーゼという酵素は糖質の吸収を抑え、腸内環境の改善に

役立つそうで、互いの相乗効果により腸内の悪玉菌が減り、体全体に

良い影響が及ぶという、良いことづくし。しかも、どんな料理も引き立てる

万能調味料になるというのですから、これはぜひとも試さなければと!

 

 仕込みが1月13日。ややピンク色になってきましたが、出来上がりまで

あと5、6日はかかるでしょうか。肉や魚の下味付けだけでなく、スープや

ドレッシングにも合うそうなので、とても楽しみにしています。食レポはまた

後日にということで…。

 

 ところで、今日は教会で今年最初の聖書を読む会がありました。

エスさまのたとえ話を読みましたが、その中にこんな言葉がありました。

 

 「天の御国はパン種に似ています。女の人がそれを取って、三サトン

       小麦粉の中に混ぜると、全体がふくらみます。」(*1サトン=13リットル)

                ―マタイの福音書13章33節― 

 

 パン種(イースト菌)が正しく量られれば「発酵」が進み、人間に有用な

いのちの糧になりますが、パン種が適量でなかったり不純物が混じると

腐敗」して有害なものになってしまいます。それほどパン種の影響力は

大きいということなのですね。 

 

  たとえ話から教えられることは、クリスチャンは良いパン種(福音)を

持ち、人々に提供していく務めがあるということなのでしょう。。深く心に

留め置きたいと思います。 

15歳、涙の一大決心

 

 新年おめでとうございます。

2025年も悲喜こもごも、いろいろあるでしょうが、皆さまにとって

実り多き一年になりますよう、お祈りいたします。

 

 さて我が家の年末年始は例年通りの平和な大晦日、三が日を

過ごしております。中3、小6の孫2人。「もうそろそろ、お泊りは無し

かな?」と問うと、すかさず「あと3年は泊ると思う」との返事。

まあ、ジジババの家で年越しをしてくれるのは願ってもない喜びなので

せいぜい、おもてなしをしてあげましょう(^o^;)

 

 ところで、中3のハル君にとって重大問題が発生し、涙の一大決心を

迫られることになりました。1月7日からマンションの外壁塗装が始まる

ため、ベランダの鉢やコンテナを室内に移動しなければなりません。その

ためには、ハル君占有スペースを明け渡してもらわねばならないのです。

 

 ハル君には工事の日程が決まった時からお願いしているのですが、

本当に、本当に嫌だったのでしょうね。・゚・(´_`)・゚・。 

 結局、紅白歌合戦を見終えてから、しぶしぶ片付けを始めてくれました。

涙の一大決心をしてくれたハル君、ありがとう!

 

 このハル君専用テーブル、実は彼が3歳から15歳までの12年間、

不動のスペースでした(^o^;) 電車の駅やバス停を作ったり、信号を

置いたり、自由自在に作り替え、物語を紡ぎながら楽しそうに遊んで

いました。ハル君にとっては心からホッとする聖域なのでしょうね。

 

「おばあちゃん、ホコリが積もってるよ」

「そりゃそうでしょう、12年分のホコリだもの」

 

そんな会話を交わしながら、年をまたいで2人で電車やバスのホコリを

取り、きれいに拭いたのも、良い思い出になることでしょう。

 

 工事は約半年後に終わる予定ですが、ハル君としてはまた現状に

戻したい意向のようで、「再現できるかな?組み立て方を忘れないで

おこう」と独り言。さて半年後、どうしたものか。思案のしどころです😂

 

お帰りなさい! 我那覇和樹選手! 

木村元彦著『争うは本意ならねど』(集英社インターナショナル

      ※サッカー元日本代表我那覇和樹選手のドーピング冤罪を巡る記事を扱っった本。
 

 

 久々にサッカーの話をしたいと思います!

  12月半ば、サッカー界のレジェンド達の引退試合が開催されました。

中村憲剛リャン・ヨンギ槙野智章松井大輔、そしてあのスーパースター、

アンドレス・イニエスタ(敬称略)と。いずれもサッカーファンには垂涎の

イベントばかり。

 

 中村憲剛推しの私。スタジアムでの生観戦を熱望していたのですが、

チケットを取る術もなく、やむなくDAZNでの観戦となりました。

 ラモス瑠偉澤穂希小野伸二高原直泰遠藤保仁稲本潤一、大久保

嘉人、中澤佑二吉田沙保里(敬称略)他多数、錚々たる顔ぶれに加え

フロンターレ時代に共闘した、我那覇ジュニーニョ、ダミアン、谷口彰悟選手

初め多くの川崎フレンズが参戦。総勢100人以上が等々力スタジアムに集結した

景色は実に圧巻でした! スタンドを埋めた2万2014人の笑顔、大歓声は、

憲剛さんの人気の高さ、人柄の良さを物語っていました。

 

 最も印象に残ったのは我那覇和樹選手の参戦、そしてゴーール⚽️ ガナ

(我那覇選手の愛称)は、憲剛と同時期にオシムジャパンに選出されたことも

ある同い年の選手。44歳の今も現役プレーヤーです。あの一件がなければ、

憲剛と共に2010年の南アフリカW杯に代表入りしていたかもしれないと、今も

切なさが残ります。

 

 近年、現役の代表選手等のスキャンダルが世間を賑わせていますが、

ガナの一件はそうしたスキャンダルとは一線を画するものでした。話題性に

乏しかったのか表立って報道されることもなく、人の知るところとはなりま

せんでした。

 脱水治療のために受けた点滴がドーピング違反であると、取材も無いまま

報道したスポーツ新聞。協会のメンツのためか、事実確認をすることもなく

噂を肯定し、「我那覇はクロ」と発表したJリーグ協会。その後、国際スポーツ

仲裁裁判所で無罪が立証されたにもかかわらず、徐々にリーグ戦での出場機会を

失っていくガナ…。個人より組織を守ろうとする協会の古い体質、今は僅かでも

改善されていることを願うばかりです。

 

 スポーツ裁判所で「シロ」であると断定されても、一度「クロ」のレッテルを

貼られたら、それを人の記憶から消し去るのは難しいこと。前途ある有能な

サッカー選手をスケープゴートにし、そのサッカー人生を台無しにしてしまった

責任の重さを、Jリーグ協会は決して忘れずにいてほしいと思います。

 そして、我那覇和樹選手という素晴らしく魅力的な選手が、冤罪を晴らす

ために多くの犠牲を払って戦い抜いたことを、若い世代のサッカーファンにも

知ってほしいと思います。

 ちょっと憲剛さんの引退試合から少し焦点がズレましたが、心に思うことを

したためてみました。

「人生の秋に」~詩・最上のわざ~

 

 以前、教会の敬老礼拝の説教の中で、「最上のわざ」という詩が

紹介されたことがあり、その時の心境をブログに綴ったことがあり

ました。年齢を重ね、さらに詩の内容が理解できるようになった今、

改めて詩を読み返してみたいと思います。

 

 「最上のわざ」は第2代上智大学 学長を務められたヘルマン・

ホイヴェルス神父が、著書『人生の秋に』の中で紹介している詩です。

母国ドイツに帰郷の折、友人から贈られた詩(作者不明)と言われて

います。

 

     最上のわざ

 

 この世の最上のわざは何?
 楽しい心で年をとり、働きたいけれど休み、
 しゃべりたいけれども黙り、

 失望しそうなときに希望し、
 従順に、平静に、おのれの十字架をになう。
 若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、ねたまず、
 人のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
 弱って、もはや人のために役だたずとも、親切で柔和であること。
 老いの重荷は神の賜物、

 古びた心に、これで最後のみがきをかける。
 まことのふるさとへ行くために。
 おのれをこの世につなぐ くさりを

 少しずつはずしていくのは、真にえらい仕事。
 こうして何もできなくなれば、

 それを謙虚に承諾するのだ。
 神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。
 それは祈りだ。

 手は何もできない。

 けれども最後まで合掌できる。
 愛するすべての人のうえに、神の恵みを求めるために。
 すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声をきくだろう。
 『来よ、わが友、われなんじを見捨てじ』と。

 

 人に迷惑をかけたくない、誰かの世話になりたくない、できるだけ

環境を変えたくない。そう思うのも人の常かもしれません。でも人には

必ず限界が訪れます。自分だけでは解決できないという事実を自覚

したなら、神さまに、そして手を差し伸べてくれる人に素直に助けを

求めて良いのだと、詩人は諭します。

 

 老いは迎え撃つのではなく、受け入れ、神さまに委ねて生きる。

この詩には、人生の幕を下ろそうとしている人々への、慈愛に満ちた

慰めのことばが散りばめられ、大きな励ましが込められています。

 

  年老いて 白髪頭になったとしても

  神よ 私を捨てないでください。

  私はなおも告げ知らせます。あなたの力を世に。

  あなたの大能のみわざを 後に来るすべての者に。

           (旧約聖書 詩篇71篇18節)

トイレットペーパーの三角折りの是非

 よく公共施設のトイレで見かけるトイレットペーパーの三角折り。

何とも思わない人もいるかもしれませんが、私はあれを見ると気持ちが

引いてしまいます。なぜ折る必要があるのですかと…。

 

 きっと次の人が使いやすいようにという親切心からの行為なので

しょうが、正直ありがた迷惑という感じ。私と同じように感じている

人は少なからずいらっしゃるのではないでしょうか。

 

 最近、三角折りの是非について論じているネット記事を読みましたが、

マナーや衛生面における専門家は「やらなくていい」と口を揃えて断じて

いるようです。

 

 その理由は、トイレットペーパーは思った以上に染みやすく、用を

足した後にトイレットペーパーを使用すると、手にウィルスや菌が

つき、その手でペーパーを三角に折ると、ウィルスや菌が紙に移り、

最悪、次の利用者に感染する恐れもあるということのようです。

 

 そもそもマナーや親切というより、清掃員の清掃終了のサインとして

始められた習慣とも言われ、一般人はやる必要がないという意見が

多いようです。コロナ流行の影響もあってか、「感染予防のため、

トイレットペーパーの三角折りはしないでください」とトイレに

張り紙がしてあるお店も、たまに見かけます。

 

 親切やマナーのつもりでも、それに不快感を覚える人もけっこう

いると思うので、やはり三角折りは控えたほうが良いのでは…。

個人的にはそう思いますが、皆さまの考えはいかがでしょうか?

 

 

 

髪は長~い友だち

   

 今年の猛暑は頭髪にも大きなダメージを与えたのか、最近かなり

抜け毛が目立つようになりました。若い頃から毛量が多く、頭髪を気に

することなどありませんでしたが、やはりだんだん毛質も細くなりハリが

なくなっている気がします。あまり、この言葉は使いたくないのですが、

やはり加齢のなせるわざなのでしょう(-_-;)

 


www.youtube.com

 十代の頃に見たと思うのですが、育毛剤のCMを思い出します。

第一製薬のカロヤンという商品でした。「髪は長~い友だち」という

キャッチコピーが耳に残り、それで「髪」という漢字の成り立ちが

しっかり脳にインプットされたように記憶しています。

 

 自分の頭髪が何本あるかは、母親でさえも、自分自身でさえも

知りません。無論、数えることも出来ません。でも神さまは私たちが

母の胎にある時から、その髪の毛の数を数えられ、1本残らず覚えて

おられると聖書に書いてあります。

 

  五羽の雀が、二アサリオンで売られているではありませんか。

 そんな雀の一羽でも、神の御前で忘れられてはいません。

 それどころか、あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。

 恐れることはありません。あなたがたは、多くの雀よりも価値が

 あるのです。

              ルカの福音書12章6-7節

 

 ※アサリオンという貨幣単位は、一日の収入の16分の1。たとえば日給1万円なら、

  雀1羽は125円。そんな小さな存在でも神さまは目を留めておられるのです。

  

 すべてご存知の神さまがおられるなら、些細なことでくよくよ悩む

必要はありませんよね。誰一人見ていてくれなくても、評価してくれ

なくても、自分に向けられている眼差しがあるなら、自ずと生き方も

変わっていくに違いありません。信じるというのは、そういう生き方に

向きを変えることなのだと思います。

 

 昔に比べシャンプーやリンスも良質のものが多く、ヘアケア製品も

充実している今、自分に合うものを取り入れて、これからも髪と長~い

友だちでありたいものです。

 

クリスマスカードを作る季節がやって来た

  

  今年も早11月半ば。恒例のクリスマスカード作りの季節になりました。

手作りのクリスマスカードを教会に献品するようになって10年余り。

教会用に加え自分用、プレゼント用と、100セット以上のカードを

量産した年もありましたが、ここ数年はばね指の影響もあって、細かい

作業がはかどらないため、50~60セットにとどめています。

 

 約50年前、相模原市に住んでいた時、電車で二駅のところに大きな

文房具屋さんがありました。紙製品が多く、企画のサイズに裁断した

後の端紙を束にして、一つ100円くらいで売っていました。色とりどりの

紙の魅力にとり憑かれ、行くたびに買い集めていましたが、相模原を

離れて40年にもなるのに、その紙がまだ僅かに残っているのには驚いて

しまいます。いったいどれだけ買ったのやら(^o^;)

 



 大きなキャンバスに描く絵も楽しいのですが、はがきサイズの紙に

模様を描いたり、切り貼りしたりするのも、本当に楽しい時間です。

どんな図案が良いか、紙を見ながら考えていると、ふとアイディアが

浮かんできて、少しずつ形になっていくから不思議です。

 


 素人の手作り品なので、お買い上げいただくのは心苦しいのですが、

毎年、教会の皆さんが楽しみにしていてくださるので1部150円で

ご購入頂き、収益金をクリスマス献金として捧げています。皆さんが

喜んで用いてくださっているので、とても励みになります。

 

 カードに書かれたクリスマス・メッセージが、受け取った方々の心に

まっすぐに届くことを祈りつつ、これからもカードを作っていきたいと

思っています。

 

<