昨年春、コロナによる自粛生活が求められるようになって以来、
あらゆる方面での様式、方針の見直し・変更が余儀なくされました。
私個人の日常生活に当てはめて言うなら、毎週日曜日の礼拝を
初め、教会の諸集会 然り、サークル活動 然り、美術館めぐり 然り、
サッカーのスタジアム観戦 然り‥。
元々、家にいることが嫌いではないので、外出できないことへの
ストレスが溜まることは、あまりありません。昔、フジカラーの
CMで、樹木希林さんの「それなりに」というフレーズが大流行
しましたが、私も「それなりに」、時間を消化できています。
ただ何か一つが、物足りない。何となく埋まらない心の真空領域
とでも言ったら良いでしょうか。その何かが、先月、ようやく
判明したのです。
私の日常に欠けていたもの。それは、30年来、続けているバイブル
クラスの存在でした。所属教会では通常、木曜日の午前中に「聖書を
読む会」という、いわゆる聖書研究の集会を行っています。
昨年3月以降、コロナが沈静化するまで休会することになって
いましたが、神奈川県は感染者数も多く、なかなか再開のタイミングを
つかめないでいました。
状況が落ち着いている今が、チャンスかもしれない。銘々の心に
そんな促しがあったのか、声が上がり、牧師さんのGo Signも出て、
久々にメンバーが集合。教会堂とZoomの両方を用いての再スタート
となりました。
もちろん、新しいオミクロン株の拡大が懸念される中での再開です。
今後の状況次第という条件付きではありますが、顔を合わせて聖書を
学ぶ機会が与えられることは、本当に感謝です。
この際、飲食無しも、無粋なアクリル仕切り板使用も致し方なし。
とにもかくにも集まれることを喜び、良しとしましょう(^o^;)
約1年半ぶりのバイブルクラス。パズルの空いたところのピースが
ピタッとハマりました。モヤモヤした霧がすっきり晴れた気分です。
初代教会のクリスチャンたちの日常生活も、聖書にこう書いて
あります。彼らも集まり、学び、祈っていたのですね。
彼らはいつも、使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、
パンを裂き、祈りをしていた。
使徒の働き2章42節
教会の、こうあるべき本来の姿を再確認した思いです。