シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

『眠られぬ夜のために』から見えてくる光明

 

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これまで不眠とは縁遠かった私が、ここ数週間、眠れない夜を過ごして

いました。10年前、東日本大震災に遭遇した後、時折、フラッシュバックで

目覚めることもありましたが、それも自然に消え、以来、睡眠トラブルは

ほぼありませんでした。

 

5月上旬、本当に突発的に「不眠現象」が起きました。眠りが浅いとか、目が

覚めて眠れなくなるとかではなく、とにかく寝つきが悪く、入眠できないまま

明け方に‥。

 大きな心配事もなく、不安やストレスを抱えているわけでもない。原因を考えて

みても、まったく思い当たるふしがありません。気にしないようにと自己暗示を

かけ、あれこれ眠る努力をしてみましたが、一向に解決しません。さすがに体が

疲れてきて、もともとの頻脈がもっと激しくなって、ちょっとした家事一つにも、

はぁはぁ‥息切れ状態が続いていました。

 

これでは埒が明かないと、睡眠外来のある病院を受診。問診の結果、私の

年代には不眠症の人は非常に多く、急に眠れなくなるケースもあるのだと。

まずは体の疲れを取る漢方薬、そして入眠剤服用で様子をみましょうと言われ

ました。眠剤は依存性が高いイメージがあり、抵抗はありましたが、ぐっすり

眠り体内時計をリセットするのが先決かと、服用することにしました。結果、

初日から効果てきめん。鉛のように重かった体が羽のように軽くなり、気分も

爽快です。私の場合、何となくですが一過性のような気がするので、焦らず、

自然にリズムが戻るのを待ちたいと思っています。

 

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 眠れない夜は、気分転換に本を読んでいました。そのうちの一冊。

カール・ヒルティの「眠られぬ夜のために」。そのまんま、ですね(^o^;)

昔、教会の友人が贈ってくれた本で、超ロングセラーの名著。長編過ぎて、

いまだに読了はしていませんが、繰り返しページを繰る大切な本でもあります。

 

眠れない夜はつらい。しかし いたずらに嘆いていないで、我々はそれを、

日頃怠りがちな自己反省のために、静かな妨げられない時間として

活用しようではないか。‥

          

それは活用されるべきものであって、むやみに逆らうべきではない。

いいかえると、不眠にも何か目的がありうるし、またあるべきではないかと

考えるがよい。そういう時こそ、ふだんよりもはっきり聞こえる、あの静かな

声に耳を傾け、そして他の一切の考えを退けるのが正しいであろう。

「なぜこの不眠の夜が自分に訪れたのか」と‥

     カール・ヒルティ著「眠られぬ夜のために 第一部」(岩波文庫

 

不眠にも何か目的がある?

なぜこの不眠の夜が自分に訪れたのか?

 

あまりにも深い提言に思考は空回りしそうですが、私なりに考えてみたのは

次のようなことです。

 

いかに不眠症の人が多いかということ。そして良質の睡眠を取るために、

山ほどの方法があること。

実際、朝陽に当たってみたり、安眠体操をしてみたり、ツボを押してみたり、

鎮静効果のあるカモミールティを飲んでみたり、アイスノンで首を冷やして

みたり‥。即効性はなくても、それぞれが体に良いことが裏付けられ、新しい

知識を得る機会となりました。

 

何より、身を持って不眠の辛さを体験したことで、同じ悩みを持つ人と共感できる

“わざ”を身につけることができました。これは人と寄り添って生きていく上で大

きなプラスになるものだと思います。そう考えると、たしかに不眠も一つの収穫。

けっして無意味なものではない、「神のたまもの」であることが、よりリアルに

響いてくるようです。

 

この本には、眠れない不安や焦りを鎮めてくれそうな言葉、詩、引用文などが

散りばめられているので、心を落ち着かせるのにきっと役立ちます。全体に

聖書によるところが大きいのですが、ノンクリスチャンであっても、必ず心に

ヒットする言葉があるはずです。文庫本の小さい文字に難ありですが(^o^;)

読書好きの方には、ぜひ読んでみてほしい一冊です。

 

 

ラベンダーの花ことば。「沈黙」「あなたを待っています」

 

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もう十何年も前のこと、夏の終りの北海道を旅したことが

あります。釧路湿原知床半島霧の摩周湖旭山動物園‥。

北の大地の雄大な景色は、忘れられない一生の思い出です。

 

やや時期は過ぎていたけれど、富良野のラベンダー畑は圧巻。

丘に広がる青紫の絨毯は、いつかドイツ旅行で出会った

菜の花畑の黄色い絨毯に匹敵する、まさに壮大な眺めでした。

 

ラベンダーにはいくつかの花ことばがあるようですが、代表的な

ものだけピックアップしてみます。

一つには、「沈黙」。あの優美な香りには鎮静効果があるそうで、

静寂、落ち着きなどを連想させる所以かもしれません。

もう一例には、「あなたを待っています」or「期待」。 

ラベンダーという名の少女が、ある日、一人の男の子に恋を

しますが、その思いを伝えられないままずっと待ち続け、やがて

一凛の花と化してしまったという、花ことば、あるある伝説。

 

調べると、ラベンダーにはラテン語で「洗う」という意味もあり、

幼子のイエスさまの産着を、母マリヤがラベンダーウォーターで

洗ったという説もあるのだとか。古代ローマ時代の人々も、その抗菌、

浄化作用を知っていたという、その知恵にびっくりします。

 

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ところで、マイガーデンにもラベンダーが咲いています。

8年前のことです。当時4歳だった孫がラベンダーの苗を持って

やって来ました。母の日のプレゼントに息子(彼の父親)が私のために

用意したもののようです。お父さんと一緒に鉢に植え替えてくれた、

あの時のラベンダー。今年も元気に花を咲かせてくれました。

ほかにも、せっせと運んでは置いていった野の草花たちもみな健在。

植物の成長に孫の成長を重ねて見られるのも、祖父母の格別な喜びです。

 

風にそよぐラベンダーを見ていると、心が落ち着いてきます。

ラベンダーの精神安定作用は、どうやら本物のようですね。

「人生時間通帳」があるなら、私の残高はどれだけ?

 

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人の一生を示す「人生時間通帳」のようなものがあるなら、

私の通帳の残高はあと何時間? ふと、そんなことを考える

年代になりました。高齢者に属する以上、残り時間は

そんなに多くはないでしょう。それは自分が想像するより

多いかもしれないし、少ないかもしれない。それがはっきり

分からないところに、人生の奥深さが、面白さがあるの

かもしれませんね。

 

 老後にどんな生き方をするか。年老いてもなお幸せに

生きるには―。老後は余生であるという考え方には要注意で

ある。それは「余りの部分」ではない。積み重ねられた

多くの人生経験を生かして、充実した生活をする時期である。

それは実を実らせる時である。

          『百万人の福音』 ~聖書日課~より

            

以前、購読していたミッション系の月刊誌からの引用。

高齢者にとって指標となるような大切なポイントが示されています。

老後、余生‥。これからの時間を「余りの時間」「残りの時間」と

すると、いかにも物悲しさが漂ってくる気がしませんか?

 

誰も制限時間は決まっていませんが、それぞれが、もうあと

一踏ん張り。人生劇場の最終章、フィナーレの舞台を丁寧に心を

込めて、実り豊かなものに演出するのも自分次第です。

人生通帳の貴重な残高を、無為無策に使い過ごさないために。

 

  彼らは年老いてもなお、実を実らせ 青々と生い茂ります。

                 詩篇92編14節

 苦手なミシンでトートバッグに挑戦

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東日本大震災後、仙台から転居してきた母の荷物には、

まだ手つかずのままのものが結構あります。いつかは

整理しなければと思っているうちに、はや10年。

時間がある今こそ、片付けのチャンスかもと動き出しました。

なんとも、気が遠くなる分量ですが(-_-;)

 

和裁や刺繍が趣味だった母には、材料の遺品が大量にあります。

母が亡くなり、親類や親しかった方に母の作品や布地、糸を

形見分けに。多くの刺繍作品は、皆さんに大変喜ばれました。

残っているのは小さな作りかけのもの、刺しかけのものが

ほとんどです。高齢の母が一生懸命に刺したものですから、

何かの形に残したい。そんな思いで苦手なミシンに挑戦して

みようと、一念発起した次第です。

 

マスクや簡単なエコバッグなど、直線縫いだけで済むものは

私でもできますが、裏付き、マチ付き、口布ファスナー付き‥

という立体裁断の作品は無理。そんな苦手意識があって、

遠ざけてきましたが、息子にもらったタブレットで、動画を

見ながら、まずは練習台の一個目のスタートです。

 

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丸々二日かけて、なんとか形になりましたが‥。

フランス刺繍用の高級生地が物悲しく見える出来栄えです。

薔薇の刺繍が、難を隠してくれたら嬉しいのですが。

 

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ポケットは、古いナイロンバッグに付いていたものを切り取って

内布に貼り付けました。ポケットまで手が回らず‥です(^o^;)

 

去年に続き、ステイホームを強いられている今年のGW。

おうち時間‥インドア派の私には、あまり苦ではないのですが、

毎日立てる目標もネタ切れになってきたので、苦手を克服するため

にも少しずつミシンの技術をマスターして、スキルアップ

目指したいと思います。

美しく老いるための心構え

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一週間前の朝のこと、布団の中で寝返りを打った瞬間、

グラリと天地がひっくり返る感覚がして目が覚めました。

立ち上がり、歩こうとしましたが右にフラフラ、左にユラユラ。

まともに歩くことができません。三半規管に弱さがあるのか、

忘れた頃に同じような症状に見舞われます。病院で処方して

いただいている薬を飲み、その日のうちに回復しましたが、

なかなか厄介な我が身ではあります。

 

めまいはすぐ収まったものの、翌朝はいきなりの こむら返り。

あまりの激痛に飛び起きました。冷湿布をして、半日ほどで

良くなりましたが、水分が足りてないのかもしれません(-_-;)

 

そして昨日は右足首に違和感あり。

かかとは平気なのですが、足首を地面に着けると痛みを

伴う不快感が走ります。湿布をし、包帯で抑え、ゆるい

サポーターで保護していますが、まだ完治はしていません。

 

健康診断では中性脂肪の値だけが基準値を超えていますが、

ほぼ優等生のレッテルを貼られているのに、なぜに次々と

不具合が起こるのでしょう?

 

正解は「“加齢”による」。

― はい、間違いないですね(^o^;)

 

どこかで「老いは迎え撃て」という言葉を聞いたことが

ありますが、あえて老いに抗わず、枯れてなお美しく、

自分らしく生きられたら、より良い人生の幕引きができる

ような気もします。

 

藤木正三さんの著書「福音は届いていますか」(ヨルダン社

から一節を引用させていただきます。

 

 「構えの点検」

世の中には、どうにかなることと どうにもならないことが

あります。そして、どうにもならないことに どう対するかに、

その人の人生に対する構えが表れるものです。どうにも

ならないことに抵抗するか、耐えるか、避けるか、諦めるか、

要するにそれを拒み続けるのか、それともそれを受け入れ、

引き受け、自分の生きる道をそこに認めるのか。前者は人生を

私物として固執する構えであり、後者は人生を預かり物として

返上する構えです。どうにもならないことは稀ですけれども、

構えの点検だけは日頃からしておきたいものです。

 

人生というものをどう捉えるか。道しるべになる言葉が

散りばめられていますね。人生は神さまからの預かり物。

来たるべき時が来たら、深い感謝を込め、潔く返上するという

心構えがあるかどうか。よくよく吟味したいものです。

道端に咲く小さな花でさえも‥

 

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桜が散る頃は、まだ肌寒さが残りますが、柔らかな陽の光が

確かな春の訪れを感じさせてくれます。

 

4月に小学6年生になった孫(男の子)は、幼い頃から植物が

好き。電車、魚‥と興味の対象は増えつつありますが、もともと、

好きなものへの関心は今も進行形のようです。

 

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4歳か5歳頃、どこからか種が飛んで来て根付いたのでしょうか、

空き地に咲いていた小さな花を摘んできたので鉢に植えて

やりました。今ではそれが見事に成長し、我が家のベランダを

彩ってくれています。デルフィニウムという花のようです。

枯れてしまった花もありますが、昼咲き月見草、野菊などは

今も元気に花を咲かせてくれます。

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住まいはマンションの6階なのに、風のいたずらなのか野草の

類が繁茂して驚いています。孫は豪奢な花より野の花のほうに

目がいくようで、特にカラスノエンドウが好きなのだとか。

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オニタビラコもお気に入りのようです。空いている鉢には母子草も

生えていました。どの草花もよく整っていて本当に完璧です。

野草に魅力を感じる孫の感性に共感できる気がします。

 

 なぜ着るもののことで心配するのですか。

 野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、

 紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。

 栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも

 装っていませんでした。今日あって明日は炉に投げ込まれる

 野の草にさえ、神はこのように装ってくださるのなら、

 あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。

 信仰の薄い人たちよ。 

                      マタイの福音書6章28-30節

 

神さまは、人の目に留まらない小さな野の草花でさえ

命を与え、美しく装ってくださいます。人の手によらず匠の技で

飾ってくださるのですから、ましてや私たちの人生にも息吹を

与え、装ってくださるにちがいありません。

 

雑草を愛でる孫からは、教えられることも多いようです。

 

少し欠けていたほうが良い

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私は星野富弘さんの闘病記『愛、深き淵より』を読んで心砕かれ、

キリスト教信仰の道へ入りました。聖書の世界に導いてくれた

恩人である星野さんの著書は、すべて精読しています。

 

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『あなたの手のひら』(偕成社)の中の一節から。

 絵と文字という別のものを、一枚の紙の中に描いていくうちに、

少しずつ分かってきたのですが、絵も詩も少し欠けていたほうが

良いような気がします。欠けているもの同士が一枚の画用紙の中に

おさまった時、調和のとれた作品になるのです。これは詩画だけで

なく、私たちの家庭も社会も同じような気がします。欠けている

ことを知っている者なら、助け合うのは自然なことです。

 

このフレーズから聖書の一箇所を思い出しました。

 私達は、からだの中で見栄えがほかより劣っていると思う部分を、

見栄えをよくするものでおおいます。こうして、見苦しい部分は

もっと良い格好になりますが、格好の良い部分はその必要があり

せん。神は、劣ったところには、見栄えをよくするものを与えて、

からだを組み合わせられました。それは、からだの中に分裂

なく、各部分が互いのために、同じように配慮し合うためです。 

          コリント人への手紙 第一 12章23-25節

 

各器官が支え合い、それぞれに足りないものをカバーすることで、

均衡の取れた健康な体を保つことができます。それは家庭生活や

人間関係においても、当てはまることのような気がします。

欠けがあるという弱さは、他者の支えを必要とします。その見劣り

する部分を認め、補い、引き立ててもらうことによってバランスが

生れ、より味わい深さが増すとも言えるでしょう。

星野さんの言わんとすることは、きっとそういうことなのかと。

いつもピンと背筋が伸びるような、思考のヒントを与えてくれる

星野富弘さんのことばに感謝です。