私は星野富弘さんの闘病記『愛、深き淵より』を読んで心砕かれ、
キリスト教信仰の道へ入りました。聖書の世界に導いてくれた
恩人である星野さんの著書は、すべて精読しています。
『あなたの手のひら』(偕成社)の中の一節から。
絵と文字という別のものを、一枚の紙の中に描いていくうちに、
少しずつ分かってきたのですが、絵も詩も少し欠けていたほうが
良いような気がします。欠けているもの同士が一枚の画用紙の中に
おさまった時、調和のとれた作品になるのです。これは詩画だけで
なく、私たちの家庭も社会も同じような気がします。欠けている
ことを知っている者なら、助け合うのは自然なことです。
このフレーズから聖書の一箇所を思い出しました。
私達は、からだの中で見栄えがほかより劣っていると思う部分を、
見栄えをよくするものでおおいます。こうして、見苦しい部分は
もっと良い格好になりますが、格好の良い部分はその必要がありま
せん。神は、劣ったところには、見栄えをよくするものを与えて、
からだを組み合わせられました。それは、からだの中に分裂が
なく、各部分が互いのために、同じように配慮し合うためです。
コリント人への手紙 第一 12章23-25節
各器官が支え合い、それぞれに足りないものをカバーすることで、
均衡の取れた健康な体を保つことができます。それは家庭生活や
人間関係においても、当てはまることのような気がします。
欠けがあるという弱さは、他者の支えを必要とします。その見劣り
する部分を認め、補い、引き立ててもらうことによってバランスが
生れ、より味わい深さが増すとも言えるでしょう。
星野さんの言わんとすることは、きっとそういうことなのかと。
いつもピンと背筋が伸びるような、思考のヒントを与えてくれる
星野富弘さんのことばに感謝です。