シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

水先案内人。 泡の役割 .。o○

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カード作りは趣味の一つです。

大きなキャンバスに向かって描くのは心地よいものですが、

はがきサイズの小宇宙に一心に向き合う時間も大好きです。

パステル画を始めて日が浅いので、どう描けば効果的なのか

いろいろ試しているのですが、なかなか奥が深い。

初心者の身で小細工をするなど邪道の極みと思いつつも、

楽しいから、まあいいかと‥、勝手にアレンジしています。

 

最寄り駅の近くに、カード作りに最適なシールやスタンプ、

マスキングテープ、パンチなどを店頭に置き、超安価で

提供してくれている写真屋さんがあります。出かけた帰りに

寄っては、ちょこちょこ買い揃えた品々が、箱にいっぱい。

その宝の箱からピックアップして、たった一枚だけのカードを

作っています。上の写真もその一枚。出来立てホヤホヤです(^^ゞ

 

そして、以前、このブログのランキングバナー用に作った

カードがこれ。

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どちらも背景をパステルで塗り、泡の部分を消しゴムで白抜き

してから、花がプリントされた厚紙シールに色を塗り足して、

貼り付けてみました。泡々が良い引き立て役になっています。

 

長い時間、暗い海底に潜っていると五感を失い、方向感覚が

なくなることがあるのだとか。そんな時、上っていく泡について

行くなら、海面に浮かび上がるという話を聞いたことがあります。

泡が水先案内人の役割をしてくれるとは、何とロマンティックな

話でしょう。

 

そんなこんなの泡効果。カード作りにも期待して、あと何枚か

作ってみようかと思っています。

ネモフィラの魅力 ~可憐さと逞しさと~

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ここ数年、ネモフィラという小さくて可愛い花が人気を集めて

います。よくテレビで紹介される、国営ひたち海浜公園に群生する

ネモフィラは、まさに圧巻のブルーの絨毯。青空と一体化した壮麗な

光景には、うっとり、ため息が出るほどです。

 

調べてみるとネモフィラは、もともと北アメリカ原産の花。

後々、ヨーロッパに渡った際に、どんどん根づいていったそうです。

その清楚で愛らしい姿かたちから、花言葉は「可憐」。一方、

日当たりと水はけが良いところなら、どこでも根付くという

その逞しさから、「どこでも成功」とも言われるのだとか。

ミスマッチのようであって、なるほど納得の花言葉ですね。

 

英語ではネモフィラのことをBaby blue eyesと言うそうですが、

“赤ちゃんの青い瞳”とはよく言ったものだと感心します。

花の中心の白い部分が、赤ちゃんの澄んだ目のようであると…。

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  ムラサキハナナ(諸葛菜)の間から顔をのぞかせるネモフィラ

サイズは違うけれども、何となく雑草のオオイヌノフグリにも

似ているかなと思っていたら、なんと和名はどちらも“瑠璃唐草”

と言うそうです。ただ名前は同じでも別の花同士とは、花の世界も

なかなか面白いものです。

 

昔、横浜のデパートで久保田一竹さんの染物 “一竹辻が花” の

展示を見たことがありました。豪奢な総絞りの着物の模様の中に、

ところどころピカッと星のように光る小さな花の刺繍が施され、

宝石を縫い込んだのかなと思えるほど、ハッとさせられました。

小さく可憐であっても、人の目を惹く、人の目をそらさない、

インパクトがある花。ネモフィラの中にも、それに通じる

魅力、可憐さと力強さがあるような、ふとそんな思いがよぎる

今朝のマイガーデンでした。

 

 

 

蘖(ひこばえ)に見る儚さと力強さ

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今年も桜が満開の季節になりました。

絢爛な装いが、一時、コロナの憂さを忘れさせてくれます。

 

毎週木曜日、聖書を読む会という集会があります。

先日、用いているテキストの中に“ひこばえ”という言葉が

出てきました。さすがに年配の方々は“ひこばえ”を知る人が

多かったのですが、司会進行をする牧師さんを初め、若い世代には

馴染みのない言葉だったようです。

それで、ちょっと知ったかぶりをして、このように説明しました。

「桜など、木の切り株や、幹の根元に生える新芽のことですよ」と。

 

聖書によっては、訳に多少の違いがあります。たとえば‥。

私が通う教会で使う新改訳2017では、

わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」

              (ヨハネの黙示録22章16節)

これはイエスさまが言われた言葉です。

新共同訳では、「わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、‥‥。」

口語訳では「わたしはダビデの若枝‥」と訳されています。

 

伐採された切り株や、本幹ではない根元に生える新芽は、あまり

価値あるものではないかもしれません。そんな切り株からでも

新芽が生まれ、木の生命力を呼び起こし、生い茂って、輝かしい

元の栄光を取り戻すと、イエスさまが言われるのです。

 

根、ひこばえ、若枝。

つい見過ごしてしまいがちな、目立たないものですが、じっと目を

凝らすと、確かに新しい命の息吹を感じ取ることができます。

 

ちょうどウォーキング中の夫が“ひこばえ”の写メールを送ってくれ

たので、牧師さんにも添付して送ったところ、こんな感想を寄せて

くださいました。

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「写真を見て、さらに理解できました。見栄えを考えると、

切り落とされてしまうような儚い部分でありながら、なにか、

力強い美しさもありますね」と。

 

本当にその通りですね。地味な“ひこばえ”にスポットライトが

照らされる。まさに、イエスさまの生涯を象徴するようです。

祈ろう。苦難の中にいる人のために。

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3月16日の深夜、福島県沖を震源とする震度6強の地震が発生しました。

奇しくも11年前の3.11と同じ時期。悪夢再びかと、誰もが強い緊張に

包まれたことでしょう。

 

宮城県にある実家はタワーマンションの最上階、32階にあります。

停電でエレベーターが停止すれば、昇り降りに一苦労です。少し

離れた場所で店を営んでいるのですが、床には陳列棚から落下した

商品の山・山・山‥。兄嫁は32階までの昇降と店の片付けで、

疲労困憊の様子でしたが、電話での嘆き節の中に、ああ、過去の

経験が生かされている‥と感じられたのが僅かな救いでした。

 

少なからず被害はあったものの、実家は立て直し可能のケース

と言えます。もっともっと甚大な被害に遭い、先の見通しが

立たない多くの方々の痛み苦しみは、どれほどのものでしょう。

コロナ禍に、追い打ちをかけるような試練。そんな逆境の中に

あっても、心を強く保って、空を仰ぎ、前を見据えて、新たな

一歩を踏みだすことができますように‥。

 

サトウハチロウに師事した若谷和子さんという女流詩人の詩。

試練のさなかに歌った詩集「母ときた道」から、「はなみずき」

という詩を紹介します。

 

  はなみずき

 

 はなみずきの つぼみが

 何千本もの 編棒になって

 ツクン ツクン

 凍てついた

 時の目をひろっています

 

 北風 雪

 霙(みぞれ) あるいは

 冷たさの底の

 星の銀(しろがね)

 

 耐えて耐えて

 

 やがて

 この編棒からうまれる

 やわらかな

 ももいろの春のあたたかさを

 

 そのはなあかりを 思うと

 胸が

 ほっとほぐれます

 

――――――――――――――――――――――――

 絶対絶命のその時、光を仰ぐ人がいる。

 闇へ落ちる人がいる。

 祈ろう。苦難の中にいる人のために。

 

    若谷和子著「母ときた道」(いのちのことば社

 

私も祈ります。

疫病、自然災害、戦争‥に苦しむ方々のために。

 

 

生まれたての春を探しに‥

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礼拝を終えて帰宅し、昼食後、春の陽気に誘われて

買い物バッグを手に、春を探しに外に出てみました。

スーパーまでの道々にも、生まれたての春が顔をのぞかせて

います。沈丁花タンポポホトケノザ、菜の花‥。

 

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我が家のベランダも黄水仙が咲き、木瓜の蕾がほころび

始めています。春爛漫まで、あと一歩の時期でしょうか。

 

「ムラサキハナナ」もきれいに咲いています。カタカナで書くと

どんな花? と首をかしげたくなりますが、「紫花菜」と漢字で

書けば、ぐんとイメージが湧いて来ます。

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この花の中国名は「諸葛菜(ショカツサイ)」。

諸葛孔明が大群を率いて野営し、戦いに臨む時に地に種を蒔いて

育て、その若い葉を食用にしたという、兵糧の野菜だったことから

名付けられたのだとか。

 

花言葉は「知恵の泉」「あふれる知恵」。いかにも知恵者、孔明

名にふさわしい、納得の花言葉ですね。

 

聖書には、知恵の素晴らしさを表現するフレーズがたくさんあります。

 

 知恵を得ることは、黄金を得るより はるかに良い。

                  箴言16章16節

 

 知恵の価値は真珠にもまさる。  ヨブ記28章18節

 

たしかに知恵はどんな宝玉にも優る価値あるもの。身を救うもの。

知識よりも、いざという時に役に立つ、たくさんの知恵を持つ者に

私もなれたら良いな‥。穏やかな弥生の風にそよぐムラサキハナナを

眺めがら、ふとそんな思いが湧いてきました。

笛の音は時空を超えて

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2月末~3月初めにかけて、川崎市大山街道ふるさと館主催の

カルチャー展が開催されました。コロナ禍での活動は何かと

難しさがありましたが、いくつかのグループが協力し合って、

地元の方々と交流ができたことに、心から感謝しています。

 

今回、私が出品したのは「笛の音は時空を超えて」という

タイトルのアクリル画。モデルはインディアン・フルート奏者の

マーク・アキクサさんです。

 

長いこと人物デッサンを習っていましたが、人物画は難易度が

高く、つい敬遠していました。でも、マーク・アキクサさんの

演奏する姿を見て、初めて描いてみたいと思うようになりました。

演奏する時の姿勢がとても美しいのです。マークさんを描くのは

今回で二度目になりますが、少しは雰囲気を出せたのでしょうか。

 

時空を超えたフルートの調べを、私の拙い絵から想像するのは

かなり無理があると思いますので、実際の笛の音をお聴きください。

心の琴線に触れる音色に聴き入ってしまうと思います。

        ⇩ ⇩ ⇩ ⇩ ⇩

  https://www.youtube.com/watch?v=WvtNPgZpsKc

 

笛は、天地万物を創られた神さまへの賛美と、感謝の祈りを

届ける“管”(くだ)の役割を担うもの…。笛には神と人をつなぐ、

パイプの働きがあるのかもしれませんね。

 

愛唱聖歌『主の愛の汝(な)が内に』(聖歌578番)

3番

通りよき管(くだ)となり み恵みを取り継がん
御霊(みたま)にて満ちあふれ み栄えをあらわさん
用い給え わが主よ 用い給え われをも
み恵みを取り継ぐに 通りよき管(くだ)として

 

 

神さまの電話番号 “5015番”

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若い頃、英米文学に親しんでいましたが、難解な書物が多い中で、

子どもにも人気がある『ロビンソン・クルーソー』は大好きな

一冊でした。誰でも、一度は読んだことがあるかもしれません。

 

ロビンソン・クルーソーは若い時、両親と衝突し家出をします。

船乗りになりますが、海賊に遭遇したり、嵐で船が難破したりと、

さんざんな苦労の連続の果てに、絶海の孤島、いわゆる無人島に

漂着します。それは、以後20余年にも及ぶ、苦難の人生の

幕開けとなりました。

 

島に流れ着いてまもなく、死をも覚悟するほどの酷い熱病にかかり、

藁にもすがる思いで、荷物に入れてきたはずの聖書を取り出します。

そして、次の箇所を見つけたのです。

 

    苦難の日に

    わたしを呼び求めよ。

    わたしはあなたを助け出し

    あなたはわたしをあがめる。

          (詩篇50篇15節)

 

彼はそれほど信仰が篤い人ではなかったようですが、孤独と飢えと

死への恐怖という極限状態の中で、遂に「苦しい時の神頼み」の

心境に陥ったのでしょう。ごく自然な人間の姿かもしれません。

 

「もうダメだと限界を感じた時こそ、人が神さまと出会う時」

礼拝説教で聞いたことばが思い起こされます。

絶望の中でロビンソン・クルーソーが立ち直り、前に進むことが

できたのは、神さまに祈り、対話する中で与えられた本当の

心の安らぎ、それこそが、艱難(かんなん)辛苦に耐えられた

理由だったのではないでしょうか。

 

このドキドキ、ハラハラの連続である冒険小説の著者、ダニエル・

デフォー自身も、実に波乱万丈の生涯を送った人物のようです。

世間の批判にさらされ、孤立無援であった自分の生涯を、主人公、

ロビンソン・クルーソーの生きざまに投じたとも言われています。

 

以前、ある宣教師夫人が教えてくれました。

 

 「5015番(旧約聖書50篇15節)は、神さまの電話番号です。

 悩む時、苦しみや悲しみがある時、ぜひこの番号に電話をかけて

 みてください」

 

私も人生の岐路に立たされた時、試練にあった時、悩み、苦しみの時、

この番号を思い出し、神さまからの心の平安を戴くようにしています。