今年も桜が満開の季節になりました。
絢爛な装いが、一時、コロナの憂さを忘れさせてくれます。
毎週木曜日、聖書を読む会という集会があります。
先日、用いているテキストの中に“ひこばえ”という言葉が
出てきました。さすがに年配の方々は“ひこばえ”を知る人が
多かったのですが、司会進行をする牧師さんを初め、若い世代には
馴染みのない言葉だったようです。
それで、ちょっと知ったかぶりをして、このように説明しました。
「桜など、木の切り株や、幹の根元に生える新芽のことですよ」と。
聖書によっては、訳に多少の違いがあります。たとえば‥。
私が通う教会で使う新改訳2017では、
「わたしはダビデの根、また子孫、輝く明けの明星である。」
(ヨハネの黙示録22章16節)
これはイエスさまが言われた言葉です。
新共同訳では、「わたしは、ダビデのひこばえ、その一族、‥‥。」、
口語訳では「わたしはダビデの若枝‥」と訳されています。
伐採された切り株や、本幹ではない根元に生える新芽は、あまり
価値あるものではないかもしれません。そんな切り株からでも
新芽が生まれ、木の生命力を呼び起こし、生い茂って、輝かしい
元の栄光を取り戻すと、イエスさまが言われるのです。
根、ひこばえ、若枝。
つい見過ごしてしまいがちな、目立たないものですが、じっと目を
凝らすと、確かに新しい命の息吹を感じ取ることができます。
ちょうどウォーキング中の夫が“ひこばえ”の写メールを送ってくれ
たので、牧師さんにも添付して送ったところ、こんな感想を寄せて
くださいました。
「写真を見て、さらに理解できました。見栄えを考えると、
切り落とされてしまうような儚い部分でありながら、なにか、
力強い美しさもありますね」と。
本当にその通りですね。地味な“ひこばえ”にスポットライトが
照らされる。まさに、イエスさまの生涯を象徴するようです。