古い読売新聞のコラム「編集手帳」を読み返していたら、福分という
耳慣れない言葉が目に留まりました。福分とは本来、幸運という意味の
ようですが、少し違った解釈もあるようです。
ミレーの『晩鐘』の絵を例に、“福分”の説明が書いてありました。
※画像はネットのフリー素材からお借りしました。
…授かった運に感謝して精いっぱい生きるのだが、身の程を心得て
背伸びはしない。それが福分のようである。
…収穫したジャガイモと農具の傍らで手を合わせる妻。帽子を手に
こうべを垂れる夫。ささやかではあれ、授かった福分を、今日一日
まっとうできたことへの感謝だろう。
ミレーの『落穂拾い』や『晩鐘』は、旧約聖書のルツ記を背景にして
描かれたと言われています。
異国で夫と二人の息子と死別した姑ナオミと、夫を亡くした嫁のルツ。
二人はナオミの故郷に戻り新たな生活を始めます。生計を立てるため、
ルツは姑の遠縁に当たるボアズの畑で、落穂拾いを始めます。
落穂拾いという制度があったことは、現代人には今ひとつピンと
来ないところですが、実は、何千年も昔に、このように貧しい層への
救済策、セーフティネットが確立していたことに驚きます。
旧約聖書には、このように書いてあります。
あなたがたが自分の土地の収穫を刈り入れるときは、
畑の隅々まで刈り尽くしてはならない。
収穫した後の落ち穂を拾い集めてはならない。
また、あなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。
あなたのぶどう畑に落ちた実を拾い集めてはならない。
それらを貧しい人と寄留者のために残しておかなければならない。
わたしはあなたがたの神、主である。
レビ記19章9-10節
ルツの物語をさらに読み進めると…。
農園主のボアズは、異国人であるルツが献身的に姑のナオミに
仕える姿に心を打たれ、後に彼女を妻に迎えます。ボアズは
キリストの系譜に連なる人物です。その系図に女性の、しかも
異国人ルツの名前が書き加えられることも、確かに神さまの
ご計画のうちにあったのでしょう。
夕暮れ時、一日の仕事の終わりを告げる晩鐘は、どんな音色で
広大な農園に響き渡ったのでしょうか。『晩鐘』の絵を見る度に、
想像力が掻き立てられます。 働きバチの日本人には、終業の鐘など
ナンセンスなのかもしれませんが、もし鐘の音を合図に仕事の手を
休め今日の働きを終えたことに感謝して一日をしめくくる。
そんな習慣があったなら、どうでしょうか? ホッと疲れを癒す
心の安らぎや、明日への活力が湧いてくるような気がするのです。
※写真のピーマンは農園ならぬベランダ菜園で収穫したもの。
明日あたりはジャガイモも採れそうです(*^^*)