ずいぶん昔の話になりますが、絵画教室の友人からコーヒーの木の
苗を分けていただきました。ツヤツヤした葉がとてもきれいなので、
ずっと大切に育てています。
どんどん葉を繁らせてサイズアップしていくものの、いっこうに
蕾をつける気配もありません。目に優しい観葉植物として楽しめば
それで十分と、ほとんど諦めかけていました。鉢が小さくなり、
窮屈そうになってきたので、夫がワンサイズ大きな鉢に植え替え、
肥料をたっぷり入れたところ、目に見えて元気になって‥。
気がつくと、ツンツン尖った白い蕾をいっぱいつけていました。
かすかに香蘭にも似た甘い香りも漂っています。
手入れはしていたつもりでも、開花に十分な栄養や環境が不十分
だったのでしょうね。コーヒーの木さん、ごめんなさい(~_~;)
健気に咲いてくれたコーヒーの花を見て、『にんじんのたね』という
絵本を思い出しました。ルース・クラウス、クロケット・ジョンソン
夫妻の共著で小塩節訳(こぐま社)の作品。ストーリーはいたって
シンプルです。
小さな男の子が、にんじんの種を土に蒔きました。みんなから
「芽なんか出ないよ」と言われ続けても、せっせと世話をし続けます。
そして、信じていた通り、大きなにんじんを収穫することができました。
“種”の中に秘められた“いのち”、“希望”を素朴に信じて待つと
いう男の子の姿勢は、ハッと気づかされるものがあります。
ルカの福音書の中に、このような記述があります。
イエスはこのようなたとえを話された。
ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。そして、
実を探しに来たが、見つからなかった。そこで、ぶどう園の番人に言った。
「見なさい。三年間、このいちじくの木に実を探しに来ているが、
見つからない。だから、切り倒してしまいなさい。何のために土地まで
無駄にしているのか。」
番人は答えた。「ご主人様、どうか、今年もう一年そのままにしておいて
ください。木の周りを掘って、肥料をやってみます。それで来年、実を結べば
良いでしょう。それでもだめなら、切り倒してください。」
ルカの福音書13章6-9節
この例え話の中の「ぶどう園」はイスラエルの民(私たち)を指し、
ある人とは神さま、つまり、ぶどう園の主人を、番人はイエスさまを
指します。ここには、実をつけないいちじくの木を思い、主人になんとか
執り成そうとする番人の姿があります。もう少しだけ待ってください、
わたしがなんとかしますからと‥。
クリスチャンになるまで8年もの歳月を要した私には、この聖書の
箇所は本当に身につまされる思いがします。イエスさまは、私たちが
信仰の実を結ぶことができるように、諦めずに肥料を与え、水を注ぎ、
害虫を取り除き、手入れをし続けていてくださっている。その忍耐を
思う時、ただ頭を垂れるしかありません。感謝です。
何年もの月日を経て、やっと開花したコーヒーの木から、また、
にんじんの種を蒔いた絵本の男の子の姿から、信じて待つことの大切さを
学ぶことができたこと。これも日常の中の恵み、グッド・ニュースと
言えるかもしれませんね。