※今朝の空。数秒前は美しい富士山でしたが‥。
「わたしを束ねないで」
新川 和江
わたしを束ねないで
あらせいとうの花のように
白い葱(ねぎ)のように
束ねないでください わたしは稲穂
秋 大地が胸を焦がす
見渡すかぎりの金色の稲穂
わたしを止めないで
標本箱の昆虫のように
高原からきた絵葉書のように
止めないでください わたしは羽撃き(はばた・き)
こやみなく空のひろさをかいさぐっている
目には見えないつばさの音
わたしを注(つ)がないで
日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように
注がないでください わたしは海
夜 とほうもなく満ちてくる
苦い潮(うしお) ふちのない水
わたしを名付けないで
娘という名 妻という名
重々しい母という名でしつらえた座に
坐りきりにさせないでください わたしは風
りんごの木と
泉のありかを知っている風
わたしを区切らないで
❜(コンマ)や ・(ピリオド) いくつかの段落
そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のように
こまめにけりをつけないでください わたしは終わりのない文章
川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩
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8月10日、戦後を代表する詩人のお一人、新川和江さんの訃報を
聞きました。95歳だったそうです。代表作「わたしを束ねないで」は
中学の国語の教科書に載るほど、よく知られている詩。 久しぶりに
本棚からポケット詩集を取り出して読み返してみました。自分の越し方に
照らし合わせて読むと、やはり心にしっくり響いてくる詩でした。
もう3、40年前になるでしょうか。医師で作家の村崎芙蓉子さんが
息子さんの受験に際し、奮起して執筆した「カイワレ族の偏差値日記」
という本がベストセラーになりました。
カイワレ族とは、偏差値教育という管理社会の中でひしめき合う中高生の
悲哀を、完全管理されたウレタンの苗床で育てられるカイワレの様子に
例えたもの。 なんて分かり易い例えだろうかと感心したものでした。
私はポスト団塊世代ですが、まだまだ団塊世代が尾を引く大所帯の世代。
いつでも周りには人がいっぱいでした。なかなか大勢の中から頭一つ
抜け出せない、まさにドングリの背比べ状態。 カイワレ族とどこか
通ずるものがあった世代です。そのせいか「わたしを束ねないで」という
フレーズにとても共感を覚えるのです。
目立たなくても一人ひとり違う“人格”を持つ存在であり、唯一無二の
“個”でもあるのです。だから、どうか “その他大勢”で一括りするのだけは
やめてほしい。 同じ時を超えてきた人々の、そんな心の声が聞こえて
きそうです。