「人見るもよし 人見ざるもよし 我は咲くなり」
武者小路実篤のことばです。人の目を気にし、人の評価に振り回される
人間への教訓のようにも思えますね。
八木重吉の詩にも同じ意味合いの「花」という詩があります。冒頭の
二行は有名なので、ご存じの方も多いのではないでしょうか。
花はなぜ美しいか
ひとすじの気持ちで咲いているからだ
本当にうつくしい姿
それは ひとすじに流れたものだ
川のようなものだ
人生はいつ たのしいか
気持ちがひとつになり切った時だ
人が見ていようがいまいが、臆することなく自分に与えられた
役目を、ただひたすら果たそうとする姿には、どこか神々しさを
覚えます。険しい谷間に咲く百合のように、誰の目にも止まらない
場所で、ひっそりと咲く花もあります。それでも百合は麗しい。
見栄や虚栄心、世間体などから解放され、飾らずに自然のままで
咲く花の姿に教えられますね。
あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、
あなたの神、主を愛しなさい。
あなたの隣人を 自分自身のように愛しなさい。
(マタイの福音書22章37、39節)
自分が出来うる精一杯を尽くして、ただひたすらに神さまと人を
愛し、仕えていく、そんな生き方を求めていきたいものです。