シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

母を想う季節

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今年も母の日が近づいてきました。
年を重ねても、母を想う気持ちに変わりはありません。
もう18年になります。母が天国に召されたのは。

5月初旬、北国ではまだ桜が咲いていて、病院の窓から
風に舞う桜の花びらを、一緒に眺めた日のことが
想い出されます。

毎年5月になると、母を偲んで鉢花を届けてくれた兄も
昨年の夏に他界。外へ目をやれば百花繚乱の賑わいですが、
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シーズンを過ごしつつあります。

精神科医であった神谷美恵子さんの著書『こころの旅』の
中に、興味深い文章を見つけました。
 
「人生の出発点はいつかと言えば、まさに受胎の瞬間と
 みなすべきであろう。もちろん本人も母親も、ましてや
 父親も、それを自覚しているわけではない。このことは、
 考えてみれば驚くべきことである。
  人生は発端からして人間の意識を超え、同じ終末も
 意識のまどろみの中で迎えるようにできているらしい。」
            
聖書には、人の出発点についての記述が多くあります。
例えば、神さまが預言者エレミヤに語ったことば―。

 「わたしは、あなたを胎内に形造る前から あなたを知り、
 あなたが母の胎を出る前から あなたを聖別し、国々への
 預言者を定めていた。」  (エレミヤ書1章5節)

エレミヤの人生は、彼が生まれるずっと前から、神さまの
ミッションによって定められていたのですね。

母の臨終に立ち会った時、確かに母は朦朧とした意識の
まどろみの中で、静かに最期の時を刻んだようでした。

人生の出発点も終末の時も、神のみぞ知る。

私たちが自覚することもできない、理性を超えた不思議。
これは人間に賜わった恩寵なのかもしれません。

エレミヤの人生が、丸ごと神さまに計画されたものであるなら、
私たちにもきっと、神さまのミッションがあるはずです。
そう思うと身が引き締まります。この生温さはどうか、と!

※写真は庭の鉄線花。藤色の着物がよく似合う母でした。
 五月晴れの空に映えるクレマチスに、母の思い出が
 懐かしく重なります。