裏の小路に咲くシオンの花
最近、「若者は未来を語り、老人は過去を語る」という言葉を、
よく耳にするのですが、なかなか解釈が難しい言葉ですね。将来への
夢や希望を語る若者と、マウントを取るつもりではなかったとしても、
得々と過去の人生経験を語る老人の構図を思い浮かべると、老人に
対する婉曲な皮肉にも聞こえる言葉のようでもあり、シンプルに
字義通りに捉えるなら、若者と老人の対比ということにもなります。
そもそも未来を語ることも過去を語ることも、しごく大切なこと。
年代の問題ではありません。いずれは皆、年を取ります。過去の苦労談や
自慢話を繰り返し聞かされ辟易している若者たちも、30年、40年後の
自分の姿と心得て、耳を傾ける優しさを持ち合わせてほしいものです。
ところで、聖書をより分かりやすくするために意訳されたリビング
バイブルというものがあります。伝道者の書12章には高齢者なら
きっと思い当たることが書かれているので、一部を書き出してみます。
若さに酔って、あなたの造り主である神様を忘れてはいけません。
生きていることを楽しむ余裕などない逆境の時がくる前に、若い日に
神様を信じなさい。年をとり、陽の光や月、星がかすんでよく見えず、
夢も希望もなくなってから、神様を思い出そうとしても手遅れです。
やがて、手足が老齢のため震えるようになり、しっかりしていた足も
弱くなり、歯がなくなって物もかめず、目も見えなくなる時がきます。
歯がなくなれば、ものを食べる時でも、もぐもぐするばかりです。
鳥がさえずり始める朝早く目が覚めても、あなたは耳が遠くて聞こえず、
声もしわがれてきます。あなたは高い所をこわがり、転ぶことを案じる
白髪のしわだらけの老人となり、足をひきずりながら歩きます。
・・・・・・・・・・・・
‥‥これが私の最終的な結論です。神様を敬い、その命令に従いなさい。
これこそ人間の本分だからです。神様は私たちのすることは何でも、
人目につかないものでも、善でも悪でも、みなさばかれるのです。
「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。
わざわいの日が来ないうちに。
また『何の喜びもない』という年月(としつき)が近づく前に。」
―伝道者の書 12章1節(新改訳2017)―
ある程度、年配だったと思われる知恵ある伝道者は、ここに書かれて
いるように、自分の知っていることをすべて、若者たちや多くの人に
向けて教えたのでした。
昔を思い起こせば私自身も、お年寄りが繰り返し昔話をしているのを、
面倒くさいと敬遠したこともありますが、その方々と同じ年頃になった
今は、一つ一つの言葉の重みと尊さがが思い返されます。
若い人はまだ見ぬ未来を大いに語り、それと共に老人の話に耳を
傾けてほしい。そして老人はただ思い出話を繰り返すのではなく、若者の
魂を知恵の泉である神さまに向けるために、自分が生きてきた証しを
まっすぐに語り継げる者でありたいと。
敬老の日を前に、「若者は未来を語り、老人は過去を語る」という
言葉の意味を、あれこれ考えてみた週末の午後でした。