今朝の読売新聞コラム「編集手帳」に面白いことが書いてありました。
江戸幕府は12月13日を「煤(すす)払い」と定めていて、武家も商家も
なく掃除一色。江戸時代の人は、かなり早い時期に大掃除をしていたのですね。
コラムにも「除夜の鐘までにこれほど日数があれば、1年のいいこと、
わるいことをいろいろ思い出すだろう。」と書いてありました。また、
文筆家の頭木弘樹さんの言葉も紹介されています。
「何をしたか」ではなく、「何をしなかったか」も大切ではないでしょうか。
人を傷つけなかった、人の上に立とうとしなかった、差別しなかった、欲に
おぼれなかった…」(対談集『心と体でケンカする』 横道誠共著より)
これはちょっと目からウロコの発想でした。毎日、簡単なメモ日記を
つけていますが、内容の8割9割は「何々をした」こと。「しなかったこと」を
書くのは、ごく稀なのだと気づかされました。「したこと」は、よく分かります。
でも、「しなかったこと」を意識することはなかなかありません。ここでは
「結果として、しなくて良かったこと」が挙げられていますが、それとは逆に
「しなかったことが悔やまれる」場合もあります。例えば、席を譲るべき方に
声掛けのタイミングを失い、バツの悪さで小さく縮こまっていた時などは
「しなかったこと」への後悔が心を占めますが、内面の弱さを認めたくなくて、
あえて「しなかったこと」を封印してしまうことも…。
しないで良かったこと、したほうが良かったこと、つまり「しなかった」
ことが表立つということは少ないのだろうなと…。
コラムは次のように締めくくっています。
「何をしたかに比べ、何をしなかったかは かなり気づきにくいと思われる。
心のそうじも必要だろう。目立つほこりを払えば、その下に案外たくさん
見つけられそうである。」
12月。大忙しの年末にさしかかる前に、心の大掃除に取り掛かるのも
一考かもしれませんね(*^^*) 不安、恐れ、憎しみ、羨望、失望、自己憐憫…。
そういうネガティブなホコリ(感情)を箒で履き出してみたら、自分が
「してこなかったこと」「すべきこと」も見えてくるのではないかと…。
※写真は2009年からつけている「しおんの夢ノート」。「しおん」は私の
ハンドルネームです(^^) 年始に一年の計を書き出し、年末に総括。これも
自分史の一つですので、今後も継続していきます。