シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

『ドリアン・グレイの肖像』、そして “メメント・モリ ”

 

 

 日頃から読みたかった文庫本3冊を、ネット注文で購入しました。

その中の一冊、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』

福田恆存訳/新潮文庫)を読み終えたところです。

 

朽ちることのない若さや美を求めてやまない、人間の欲望の

おぞましさに背筋がゾクゾクとしながらも、一気に読み通してしまい

ました。心に残る一冊になりそうです。では、ざっとあらすじでも‥。

 

 非の打ち所のない美青年ドリアン・グレイは、自分の美しい肖像画

前にこう考えました。自分の代わりに肖像画のほうが年をとり、自分は

若く美しいままでいられたら、どんなに素晴らしいかと。

 そして、あろうことか、その願いは叶えられたのです。

 

 月日は過ぎ、肖像画のドリアンの顔には皺が刻まれるように

なります。彼が罪を犯す度に皺が増え、崩れ、歪んでいくのでした。

老醜をさらす顔を目の当たりにし、もし善行を積めば、肖像画

美しい顔を取り戻せるのではないかと、うわべの行いを整えます。

しかし肖像画が、元の顔に戻ることはありませんでした。

 

自分の心を映し出すかのような醜悪な肖像画を前に、ドリアンの

心は混乱し、遂には絵にナイフを突き刺します。ドリアンは床に

倒れ息絶えますが、そこには皺だらけの老人の遺体があるだけ

でした。ドリアンがナイフで刺したのは自分自身だったのです。

ドリアンの死と引き換えに、肖像画のドリアンは絵が描かれた頃の

輝くばかりの美しい青年に戻っていました。

 

聖書に書いてある通りだと思いました。

 「人はうわべを見るが、主は心を見る。 (第一サムエル記 16章7節)

   

   「‥おまえたちは白く塗った墓のようなものだ。外側は美しく

         見えても、内側は死人の骨や あらゆる汚れでいっぱいだ。」

                                              (マタイの福音書23章27節) 

 

 人は必ず老います。そして死を迎えます。不老不死を追い求める

人間の愚かな欲望が、どれほど多くの悲劇を生んだことでしょう。

この本の中に「死よ、思い上がるな」というフレーズがあるの

ですが、これは中世ヨーロッパにおけるメメント・モリ の思想を

意識したものなのかもしれません。

 “メメント・モリ とは「死を想え」「自分がいつか必ず死ぬことを

忘れるな」という17世紀頃のヨーロッパの中心思想です。実は私、

その時代のことを卒論のテーマに書いているので、忘れようもなく

脳に刷り込まれている、思い入れの深い言葉なんです(~_~;)

 

 どんなに善行を装っても、神さまは偽善を見抜いておられます。

正さなければならない自分の心の向きを、神さまに内側から変えて

いただくためには、真っ直ぐな心で祈るよりほかはありません。

 

 ところで、冒頭の写真はなぜに? と不思議に思う方もいると

思います。この写真を選んだのは、ドリアン・グレイのような美青年

とはどんな人だろうと考えた時、私の頭に浮かんだのが、この方!

はい。その昔、星の数ほどいた“隠れジュリー”の一人が、何を隠そう

この私でしたということで‥(^o^;