シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

人それぞれに 福音の種は蒔かれている

 

 先日、同郷の友人からランチのお誘いがありました。

友人といっても学生時代の2年先輩で、古くから家同士の

付き合いがあり、ずっとお世話になりっぱなしの女性です。

しかも、彼女のご両親は私たち夫婦のご媒酌人という御縁。

今までも、これからもずっと良いお付き合いは続いていく

ことでしょう。

 

 さて、待ち合わせ場所は、お互いの家からの中間地点にある

星乃珈琲。リーズナブルなお値段の割には、かなり美味しい、

お勧めのお店で気に入っています。ただ紅茶党の私、カフェで

ミルクティのオーダーは、少し申し訳なくもありますが(~_~;)

 

 その日、誘われたのには理由がありました。彼女は昨年の

秋から近くの教会へ通うようになり、今年に入ってから、洗礼に

向けての勉強会が始まっていました。

 牧師さんの導きによって全11回の学びが終了し、神さまを信じる

信仰の道へ進むことができたこと、今年のイースター(4月9日)に

洗礼を受けることになったという、嬉しい報告のためのお誘いだった

ようです。

 

 それぞれの人生の歩みの中には、人しれぬ悩みや苦労がある

ことでしょう。でも、はたから見る彼女の人生は順風そのもの。

求めるものは、もうないのでは? そんな思いも湧くほど、

とても恵まれた人生を歩んでいるように見えます。クリスチャンに

なった方々の証しを聞くと、やはりどこかで転機があり、真理が

知りたくなって求道へと進む人のほうが多いようです。

 

 彼女もしきりに言っていました。

「私の場合はドラマチックな話が何もないのよ」と。

 彼女のお父さんは賛美歌や宗教音楽が好きで、よく教会へ

通っていたそうです。お父さんはクリスチャンではありません

でしたが、聖歌隊のメンバーに数えられて、クリスマス集会

などで歌うこともあったのだとか。子供だった当時、」教会で

聴いた賛美歌が好きになり、自分も歌いたいと、ずっと思い

続けていたのだと。

 

 たまたま、近くに教会があることを知り、調べてみると、

教会の牧師さんが母校(ミッションスクール)の学院長を務めて

いた方だと分かり、その偶然に驚くと共に、これは神さまの促し

かも‥、教会の戸を叩いてみようと気持ちが動いたのだそうです。

 

 神さまとの出会いにドラマチックな出来事があってもなくても、

転機になるような艱難辛苦がなくても、平和の只中にあっても、

人は時にかなって信仰へと導かれることに、深い感動を覚えます。

神さまは一人ひとり、その人生のどこかに福音の種を蒔かれて、

いつか芽を出し、実るのを待っておられるのだなぁ‥と。

 

   神のなさることは、すべて時にかなって美しい。

            (伝道者の書 3章11節)