シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

「瞳」の中の天使を大切に

f:id:fantsht:20210722165039j:plain

 

2年ほど前から視力の衰えを実感。眼科検診を受けようと

思っていた矢先のコロナによる緊急事態。もう少し、

あと少しと一日延ばしにしているうちに、いよいよ目が

おぼつかなくなってきました。おそらく白内障だろうと

自己診断し、友人知人の助言を得て、今夏の手術を想定し、

いざ、眼科を受診。

 

一通りの問診、診察、検眼、検査を終えた後、予想に反した

診断結果に、「え? そうなんですか?」と、戸惑いを隠せず

聞き返してしまいました。結論から言うと、「たしかに両目

とも白内障は始まっているけれども、今、手術するのは勿体

ない。それより現在使用しているメガネの度が合っていません。

しっかり度数の合ったメガネを常用し、もう少し様子を見る

ことをお勧めします」とのこと。

 

白いものを見ると眩しいし、夜には文字が滲んだり霞んだり、

二重に見えたりするし、かなり読書や手仕事に影響が及んで

いたので、内心、「なんで?」と、拍子抜けしてしまう先生の

言葉でした。視野が広く明るくなって、クリアに見えるように

なることを期待し、当然、手術をする気満々でいましたから‥。

 

まあ、時期尚早ということでは仕方ありません。この際ですから、

遠近両用+乱視用の正しい度数のメガネを新調することにします。

ただ、本当はメガネは大の苦手なんです。よほど遠くのものや、

近くを見る時にかけるだけでしたから、常用となるとストレス

たまるでしょうね。第一、メガネがおよそ似合わない👓 

観念して、メガネ美人、マスク美人を目指すよりないですね。

一見、誰か分からない怪しい人になりそうですが(^o^;) 

 

 わたしの命令を守って生きよ。

 わたしの教えを、自分の瞳のように守れ。

         旧約聖書 箴言7章2節

 

以前も書きましたが、ヘブル語の「瞳」という語には「小さい人」

という意味があるのだとか。鏡に映った自分の目の中には、確かに

「小さい自分」の姿が確認できます。

「瞳」=「小さい人」=「大切に守るべきもの」。 

きっと、そういう意味が込められているのでしょう。

 

昔、「君の瞳は10000ボルト 地上に降りた最後の天使‥」

というヒット曲がありましたが、目の中の小さな人って、ひょっとして

天使? もし天使なら、なおさらのこと。大事に、大事に扱わないとね。

 

白いものが眩しくて‥とつぶやきましたが、今朝、咲いた綿の花も

真っ白。照り返しのきついベランダを潤す一角のオアシス。この純白さ

だけは眩しいなどという不平不満も吹き飛び、ただただ心が洗われます。