コロナ禍は趣味の会にまで影響を及ぼし、サークル活動は
ほぼお休みです。緊急事態ですから仕方がありません。
休校中の子供たちとは、学習量も時間も比較にはなり
ませんが、自習できるものは、なるべく取り組もうと
心がけています。
ありがたいことに、絵画教室はオンラインレッスンを
実施中。ふだんは水彩画を中心に静物を描く教室ですが、
時間があるこの時に、「できるだけ精密な鉛筆デッサンに
取り組み、写真で投稿し合おう」という先生の提案で
スタートしました。私はデッサンが好きなので、むしろ
嬉しい宿題です。モチーフになる身近なものを選ぶ楽しみ
もあります。一作目は瓢箪にチャレンジ。
二作目は透明ガラスの薬瓶に挑戦。上に掲載したものです。
開業医だった実家の父から譲ってもらったものです。
密封性が高いので、いろいろ便利に使っていましたが、
どこへ消えたか、今は一つしか残っていません。家庭用品
ではないので、案外、珍品かもしれませんね。
先生からは、光と影の勉強のために、鏡に乗せて描くように
との注文があり、実行してみました。実際は窓辺で描いた
ので、この写真では光と影とがマッチしていません(^o^;)
何が難しかったかというと、ガラスの透明感の一言に尽きます。
まあ技術の問題ですが、透明って描きようがないんですよね。
かろうじて輪郭を描き、物体であることを表すしかない。
うまく描けずに悩んでいる時、ふと杉山平一さんの「解決」と
いう詩が頭をよぎりました。この詩については、過去の記事
にも書いたことがあります。お時間のある方は、ご一読を!
「解決」 杉山 平一
古ぼけて 煤(すす)けた駅であった
その窓硝子も 煤けていた
よく駅夫が熱心に拭っていたが
すぐ もとにもどっていた
ある夜のこと
その一枚が 戸外の闇まで つややかに見えるくらい
美しく すき透っているのを見た
近づくと 硝子は割れて はずれていたのだった
煤けた彼が 何年か願い 努め、 悩んだものが
そのように解決されていた
磨いても磨いても、ピカピカにならない窓硝子の前に悩む駅夫。
一転、割れて外され、消えてなくなっていた窓硝子。
長年、願って、努力して、悩んでいたことの、あっけない
までの「解決」を前に呆然と佇む駅夫の姿が浮かびます。
硝子がなくなったわけですから、無になること=透明になる
ことの理屈は合っています。一方、私が描いている薬瓶は、
透明に見えるけれども、厳然として目の前にあります。
有=不透明。そういう理屈になりますね。だとすると、
限りなく透明に近い(ブルーではない)何色かがあるわけで、
それは必ず写実できるはずなのですが‥。結論は‥やはり技術の
問題ですか。
ぐるぐる、取りとめもない思考サーフィンをしながら、
ひたすら鉛筆を走らせるのも、乙な楽しみの一つだと、
新たな発見を喜んでいます。