聞く耳と、見る目とは、二つとも主が造られたもの。
-箴言20章12節-
愛読している本の中から、心に響いた一箇所を転記してみます。
「聞かないために」
と聖書は言います。「聞く耳」「見る目」とは、ただ無差別に聞いたり
見たりするのではなく、真に聞くべきことば、見るべき事柄を見分ける
耳と目を意味します。そのような分別のある耳や目こそ、神が造られた
良き目、良き耳と言えましょう。人には神に聞く耳が必要であるように、
悪魔に聞かない、閉じた耳が必要です。
吉持 章著『旅人の歌』(いのちのことば社)
昨日、目黒区美術館 区民ギャラリーで開催中のバイブル&アート展に
行ってきました。絵や彫刻に添えられた聖書のことばに深く頷きながら、
ひと味違う美術展の雰囲気を楽しんできました。
夕方、電車で最寄り駅に着くと、ふだんと全くちがう黒山の人だかり。
吸い寄せられるように、人がどんどん増え広がってペデストリアン
デッキはてんやわんやの大騒ぎ。人ごみの中心にチラッと見えた
ウグイス色のジャケットは、もしかして‥。
予想的中。
スマホを高くかざし、必死に写メを取ろうとする人たち。
すごかった~💦
千載一遇のチャンスかも‥と足を止め、5分ほど聞いていたでしょうか。
政治のことはよく分かりません。ただ、弁舌さわやかでも、耳障りが
良くても、直球、ストライク‥のようには心に届かないかな~という
印象を抱いたまま、足早にその場を離れました。
聖書には「見ても見ず、聞いても聞かず」ということばもありますが、
神さまが指し示すものをスルーすることほどもったいないことは
ありません。
一方、悪魔が指し示すものに目や耳が傾くことほど愚かなことも
ありません。
惑わしの多い世の中、振り回されたり、押しつぶされたりしない
ためにも、本物を見分け、惑わしに目や耳を閉じる判断力がほしいと
思う秋の夕暮れでした。