シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

ディアスポラと木枯し紋次郎

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先日、礼拝説教の中でディアスポラという、耳慣れないことばを
聞きました。ディアスポラとは「離散の民」という意味の
ギリシア語由来のことばだとか。


自分が住む国や民族を離れて暮らす人々、又はそのコミュニティを
指すのだそうです。


離散と聞いて、昔のテレビドラマ「木枯し紋次郎」を連想して
しまいました。年齢ばればれ(^^;)


木枯し紋次郎、上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれたという。

十歳の時に国を捨て、その後、一家は離散したと伝えられる。

天涯孤独な紋次郎がなぜ無宿渡世の世界に入ったかは、定かではない。


ドラマのエンディング ナレーションや、上条恒彦さんが歌う主題歌
『だれかが風の中で』の、スケールの大きい歌唱が、何十年たっても
耳に残っているのは、それだけインパクトが強かったせいでしょう。


さてディアスポラ木枯し紋次郎の生き方は、どう違うのでしょう。

イメージで言えば紋次郎はアウトロー? 一匹狼?

群れから離れ、信念に生きる孤高の存在のような感じでしょうか。

無宿渡世の時が過ぎ、望郷の思いを抱いた紋次郎が、いつか

三日月村へ帰る日があるかもしれません。


一方、ディアスポラは離散先での永住が定められているようです。

原住地を離れた移住者といったイメージでしょうか。


旧約聖書の時代、イスラエルには12の部族がありましたが、
レビ部族には相続地がありませんでした。その理由が創世記49章に
書いてあります。レビ族が重罪を犯したため、神さまは彼らを
呪いの中に置き、各部族の中に散らすことを決められたということが
分かります。


レビ部族が散らされるということには意味がありました。

それは各町々で関わる人々の、ありのままの姿を知る機会となる

からです。その一方で、呪われた部族の悲惨な生き様を、他民族へ
知らせることにもなるからです。

さらに言えば、背信によって呪われた者が、悔い改めて神様に

立ち返り、祭司職として献身し生きる姿を人々に示す機会とも
なるからです。


呪いさえも人々に福音(良き便り)を伝える機会になる…。

神さまがなさることは、時宜に適って麗しい。

本当にその通りだと思います。


そして、赦された罪人であるクリスチャンは、レビ人と同じような

立場にあります。再び過ちを犯しやすい存在であることを自覚し、
日々、心を探り、悔い改めて、置かれたその場所で、周囲に
その生き方を示していく。そう。レビ人がしたように‥。


ディアスポラ‥ 初めて聞くことばでしたが、自分もその一人で
あることを知って、すっきりした気分です。


それはさておき、木枯し紋次郎

その後、どのような人生を送ったのでしょうね。


※写真は去年、7歳の孫が描いた絵。テーマは「できたらいいな」。
 落ち葉に乗って空を飛びたかったのだとか。落ち葉と木枯しを
 かけてみました(^^;) 絵は市営のギャラリーバスに飾られました。
 ピンボケは揺れる車内での撮影だったから(笑)