シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

信じるということ

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かなり昔、『リビング・ライフ』(発行:日本ツラノ書院)
という月刊誌を購読していました。その「例話集」の中に
載っていた記事が心に残っています。
 
第二次世界大戦の終わり頃、連合軍はドイツ軍に対する
掃討作戦を遂行。狙撃者が潜んでいないか、しらみつぶしに
建物を調べていきます。廃墟と化した家に入ると、地下道の
存在が分かり、今にも崩れ落ちそうなその壁に、ダビデの星
浮かび上がりました。ナチスの大虐殺によって犠牲となった
ユダヤ人によって彫られたものでしょう。ともし火を照らすと、
ダビデの星の下に、次のようなメモが書かれているのが
見つかりました。
 
 私は太陽を信じる。それが輝いていない時も。
 私は愛を信じる。たとえそれが目に見えない時も。
 私は神を信じる。たとえ神が沈黙されている時も。
 
信じないことは、誰にでもできます。
信じられないことを、信じられるようになることが、
本当に難しいのです。かつての私がそうでした。
ここまでは信じられるけれど、その先は無理でしょう?
自分が納得できないものは、靄(もや)のかかったままでいい。
そんな感じです。
 
本当に信じるということは、諦めないこと。
それは、言うは易し行うは難しです。その域に達するためには
努力も訓練も必要でしょう。忍耐も勇気も求められます。
そして何より、信じ続ける力を神様から頂かなければなりません。
信仰は、求めなければ与えられない、神様からの賜物だからです。
 
「信じない者になるのではなく、信じる者になりなさい」
             (ヨハネ福音書2027節)

エス様は、疑い深い弟子トマスにだけでなく、私たち
一人ひとりに、そうおっしゃったのだと思います。
 
もうすぐ、あの日から6回目の3.11がやってきます。
未曽有の自然災害により、甚大な損失を被った方々が、
信じる続けることの困難を覚えつつも、復興への希望を胸に
前進していくことを祈らずにはいられません。

「彼は望み得ないときに望みを抱いて信じました。」
            (ローマ人への手紙418節)
 
信仰の父と言われるアブラハムの力強い信仰に、勇気と希望が
湧いてきます。