3月末の日曜礼拝後、ある映画の上映会がもたれました。
小説『塩狩峠』は明治時代の終わり頃、北海道で実際に
起きた鉄道事故の顛末を主題にしたものです。
私は前にも、この映画を教会で見たことがありました。
<あらすじ>
鉄道職員の永野信夫(本名:長野政雄)は、旭川行きの列車に、
客として乗車していた。雪深い塩狩峠の頂上近くを登っている時、
客車をつなぐ連結器が外れ、最後尾の客車が峠を下り始める。
初めはゆっくり、次第に加速しながら滑り落ちていく。カーブを
曲がり切れず脱線するのが必至の状況となった。窮境を察知した
信夫は、神に祈りを捧げてから、次の瞬間、列車から飛び降り、
身を投げ打って客車の暴走を食い止めた。信夫のいのちと
引替えに、大勢の乗客のいのちが救われた。
以前、この映画を見た時は、まだ洗礼を受けていませんでした。
心の準備のないままに見ていたので、クライマックスに至る場面では
信仰というものの本質を、ガーンと脳天に突きつけられたような感じで、
ただただ圧倒されるだけでした。
あれから数十年…、綾小路きみまろさんではありませんが‥。
長い求道生活の後、クリスチャンとなった私が、同じ映画を見た時、
どう感じるのだろう。何か変わりはあるのだろうか。今回は、その辺に
注目して映写会に臨みました。
結果は― ― ―。
驚くほど前回と同じものでしたね。
記憶がすっかり飛んでいる場面もありましたが、“無償の愛”の本質が
キュンキュンと全身に沁みてくるのは全く一緒でした。謎が氷解する
ように、霧が晴れるように、ダイナミックに見えてくるものがありました。
息子が高校生の時、教会便りに『塩狩峠』の感想文を書いていました。
私より、深く読み込んでいるなと感心しきり。一部、抜粋してみます。
「バイブルクラスに行ってはみたものの、聖書の内容はとても難しく、
理解できないことが多すぎたし、奇蹟やたとえ話は現実離れしていて
信じられないものばかりだった。
「これを読んだら少しは理解できるかもしれませんよ」
と言って教会の先生が貸してくれたのが『塩狩峠』である。
…今までにこんなに深く心に訴えてくる本は初めてだった。主人公の
永野信夫の一生を通して「信仰」の持つ意味、尊さが、信仰に
無縁だった僕にもぼんやり見えてきたのである。
…大勢の乗客を救うには自分の身体を投げ出して列車に歯止めを
かけるしかない、そう判断した信夫は次の瞬間、線路めがけて
飛び降りていた。一体そんな事が人間にできるのだろうか。
できるとすれば何が人間をそうさせ得るのかという疑問が生じた。
思いめぐらせているうちに「犠牲」の二文字が頭に浮かんだ。
人間を罪から解放するために、自ら十字架にかかったイエス・
キリストの姿に、永野信夫の最期がオーバーラップした。
…人生にはいろいろな局面があるが、どんな場合においても
神に従い、隣人に無償の愛を注ぐことのできる人が、実際に
いることを知り、深く感動した。」
キリスト教はよく分からないという人でも、無償の愛の尊さが、
必ずや伝わって来るでしょう。きれいな涙で心まできれいに
洗いたいと思う人には、ぜひお勧めしたい本と映画です。