シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

弱ってくる


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11月最後の週の礼拝は第一アドベント待降節)。
一本のキャンドルに灯が点されました。
クリスマスまで、一本ずつ増えていくキャンドルを見るのが
とても好きです。今年もこのシーズンがやって来たか‥と。

この日、牧師さんが礼拝説教の中で一つの詩を紹介して
くれました。平易なことばの中に深い真理が凝縮されていて、
心の隅から隅まで見透かされているような気がします。
ひとこと、ひとことに、うん、うんと頷いてしまいました。
この詩の作者は、同じ関東地区にある他教会の牧師さんとのこと。
自分の弱さや限界を知った者の、あまりにも素直な信仰詩。

    弱ってくる

 弱ってくると
 弱くなってくる
 どうしても
 弱ってくる自分が
 中心となってしまう

 弱さの中に
 完全に働かれるのは
 神様なのに
 弱くなってくる自分が中心になってしまう

 神様 どうか
 この私の弱さの中に
 神様が完全に働かれるように
 砕かれた やわらかい
 土の器にしてください

“弱さ”は、神様の力がその人の上に現れる時。
だから私たちは喜んで“弱さを誇ろう”

聖書に書いてある、この言葉を信じるクリスチャンは
自分の弱さを知れば知るほど、神様の強さが分かってきます。
自分は弱い。だけど神様は強い。だから弱くても大丈夫!
大丈夫でないのは、自分の弱さの中に埋没して、神様の力に
頼ろうとしない選択のほうなのですね。

忙しくなる年の瀬に、つい頑張りすぎて自分のキャパシティを
超えてしまい、体を壊したり、心がへこんだり。
弱く、もろくなってくる自分を、中心に居座らせないで、
神様、どうぞ私の弱さの中で、神様の力を現してくださいと、
助けを求める信仰者でありたい。
今さら感ありありですが、この詩に改めて気づかされました。

 「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、
  わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」
  
 「‥私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、
  困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、
  私は強いからです。」
            コリント人への手紙第二 12章9、10節

※写真は昨夕(11/28)、我が家のベランダから撮影したもの。
 空のグラデーションが幻想的でした。