シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

大掃除の季節に

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カレンダーも残り一枚となり、♪もういくつ寝ると‥と日かずを
数える季節になりました。
本来、この時期の話題は、何と言ってもクリスマス!
それでも‥ あえて年末大掃除にまつわる話を。。。
 
最近はお掃除グッズが進歩し、わざわざプロに頼まなくても
自分で出来る時代になりました。やれば出来るという達成感や
満足感もモチベーションアップになりますね。
ハイライトを大掃除に当てた手前、今年はちょっと早めに
取りかかろうかと真面目に(?)思案中です。
 
生活の汚れは目に見えるから、掃除の計画が立てやすいですが、
精神面のクリーニングとなると、けっこう難しい作業かもしれません。
年の瀬になると、教会ではよく心の大掃除と称し、信仰の自己点検の
勧めがあります。一年の信仰生活を振り返り、すべてが順風満帆、
一点の曇りなしと断言できる人は‥、まあいないでしょうね~。
 
毎週、休まず礼拝出席をするクリスチャン、教会には集えないけれど、
時間を取って家庭礼拝を実践している人なら、「一応、信仰生活は
守っている」と自己採点するでしょう。私もその一人ですが。
でも神様から見れば、「まだまだ!」となるのでしょうね。
 
もしかして赤点なるものは、死語になっているかもしれませんが、
私たちの学生時代は、赤点だけは避けたいと必死になったものです。
学校によっても基準が違ったのでしょうが、我が母校ではたしか、
40点以下に赤座布団が敷かれた記憶が‥。
 
神様の合格基準は、ただ一つ、“神様に喜ばれるかどうか”
という一点です。神様が好むことや、ご性質をよくよく知らないと
弾かれてしまうことになります。知らなかったという言い訳は
通用しない、厳しい自己採点が求められます。
 
そういう神様の定規を自分の信仰に宛がってみると――。

ブレているな~。いびつだわ~。少し変形してるよ~。
伸びたり、縮んだり、曲がったり、かすれたり、全然合ってないし。
 
意外なこの結果は、自分の都合に合わせ、無意識に微調整して
しまったということなのでしょうか。人間の心に柔軟性があることは、
一面、メリットと言えますが、気づかずに神様から不合格の烙印を
押されるとしたら、とても残念なことです。
 
こういう無用の柔軟性は排除すべきかと思いますが、一方で、
必要な柔軟性もあることを、藤木正三先生の著書から教えられます。
 
 「柔軟」
何事でも本物に到達するということは、不可能なのでは
ないでしょうか。本物は、求めれば求めるほど退いてゆき、
近づけば近づくほど遠ざかってゆくからです。
本物はそのように自分を隠しながら、本物と思い込んでいたものが
実は にせ物であったことを悟らせてゆきます。だから信仰も、
自分の信仰を本物と確信するのではなくて、自分の信仰にたえず

にせ物を見出し、それを克服してゆこうとすること。

それ以上に出てはなりません。信仰において確信とは、
自分の信仰を常に疑い得る柔軟さのことであります。
           藤木 正三著「灰色の断層」より 引用
 
<エゴがもたらす無用な柔軟性>
<エゴを引込めて、自分の中の偽物を一掃しようとする柔軟性>
 
ひとことで柔軟性と言っても、意味合いが大きく違うことに
考えさせられました。
今年の大掃除、家も心も、そのことに思いを巡らせながら、
取りかかろうと思います。
 
写真は12/15(木)に教会で撮影したもの。
木曜日の集会、<聖書を読む会>のクリスマス会のテーブルです。
日曜、木曜と、ほぼ皆勤賞ですので、一年のうち100日以上、
つまり3分の1ここで過ごすわけですから、まさに第二の我が家。
感謝しつつ一年を振り返り、心を込めて大掃除をするつもりです。