シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

快い眠りのために

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春眠暁を覚えず――。

高齢になると早起きになる人が多いようですが、私の場合、

年齢不相応に朝が弱いのはなぜでしょうか。目覚ましを
止めるには止めるのですが、つい二度寝、三度寝は毎度の
こと。これがまた快いのですね。


  「早起きは三文の徳 < 至福の二度寝 http://i.yimg.jp/images/mail/emoji/15/ew_icon_s150.gif」 


そんな私ですが、5年前、生まれて初めて不眠というものを

経験しました。いろいろ努力をしても眠れない。

睡魔というものが、私の中から完全に姿を消したかのようでした。


あえて記憶に蓋をし、思い出さないようにしていましたが、

東日本大震災で目の当たりにした場面々々は、一掃したくても

しようがないほど深く、脳裏に刻まれていたのだと思います。


さすがにもう、フラッシュバックに悩まされるようなことは
激減しましたが、震災後2年ほどは一日に何度となくありました。

寝ようとする時に最も多く、全神経、全細胞が覚醒したかの

ような緊張感で、負のスパイラルに陥っていくのでした。

当然、眠気などこれっぽっちも湧いてはきません。


そんな状態が約2年間続いたでしょうか。

睡眠不足が続くと何をするにも怠慢になり、意欲も失せます。

人生で初めて導眠剤というものを処方していただきました。


漠然とではありますが、これは一過性の症状であり、必ず治ると

信じていました。夜通しの祈りの成果でしょうか。3年前になり

ますが3.11の日が来る少し前に、不眠症寛解しました。
七転八倒した2年間が、ウソのようなホントの話。その時から
導眠剤もまったく必要がなくなり、今に至っています。


スイスの哲学者、カール・ヒルティ著『眠られぬ夜のために』
にも大いに助けられました。快眠は勿論、不眠も神様からの
プレゼント。眠られない夜だからこそ与えられる、静かな
内省の時、そして祈りと瞑想の時。神様がくださるものには、
無駄なものは一つもないことを、この本は教えてくれました。


もし不眠が襲ってきても、それは与えられた自己吟味のひととき。

反省、懐古、瞑想、祈り…。それは、またとない感謝すべき時。

最上の眠りも、眠れない夜も神様の手中にあるのならば、

たとえ眠れなくても焦ることも、もがくことも、苛立つことも、

恐れることもない。そう発想を切り替えられます。


これでよいのだと心が落ち着いてくると、安らぎが湧いて

不眠による焦燥感も次第に薄れていくのではないでしょうか。



こうして、あなたは安らかに自分の道を歩み、

あなたの足はつまずかない。

あなたが横たわるとき、あなたに恐れはない。

休むとき、眠りは、ここちよい。


          旧約聖書 箴言:3章23-24