シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

名文に酔いしれる

 
 
昨年の『八重の桜』に続き、今年もNHK大河ドラマ
『軍師 官兵衛』を見ています。2つのドラマの共通項は
新島八重黒田官兵衛もクリスチャンであったこと。
公共放送で、どこまで信仰というテーマを取り扱うのか
その辺りへの興味深さもあって、楽しんで見ています。
 
『八重の桜』では聖書箇所、讃美歌が思いの外、多用
されていたことに驚きました。どんな時代にあっても、
聖書の言葉は真実であること、心の琴線に触れる
讃美の調べは感謝の応答、つまり神への礼拝である
ことを確認できた気がします。
 
さて、ことしの『軍師 官兵衛』の見どころはいかに?
ということで歴史に疎い私は、ドラマを見る前に予習の
つもりで一冊の本を読みました。さすがに前宣伝の
大きさゆえに、書店には官兵衛関連の本がズラリ!
選びかねたので、安直ではありますが、若い頃に
よく読んだ吉川英治黒田如水』を購入しました。
 
読み始めると、やはり期待に違わず面白い!
ライト・ノベルに慣れ親しんでいる若い世代には、
やや硬い、難しいと思われるかもしれませんが、
流れるような文体に、いつしか引き込まれている
ことに気づくでしょう。文豪による名文を味わうのは、
実はすごく贅沢な時間ではないかと思うのです。
 
どうしても読書の中心がキリスト教関連の本になる
ため、独特の言い回しや専門門用語に慣れっこに
なっているところがあります。だから専門書以外で
たまに出会う名文、言い得て妙という美文に「お~!
素晴らしい」と感動を覚えることがあります。
黒田如水』の中にもキラリと光る箇所が随所に
ありました。いくつか挙げておきます。
 
「怒涛の中にあっては怒涛にまかせて天命に従って
いることである。しかも断じて虚無という魔ものに引き
込まるることなく、どんな絶望を見せつけられようと
心は生命の火を見失わず、希望をかけていること
だった。いやそうしてその生命と希望をも超えて、
いよいよという最期にいたるもこれに乱されない
澄明なものにまで、天地と心身を一つのものに観じる
修行でもあった。」(p.345)
 
「彼がひとつの死生観をつかむには、それ以前にまず
これらの怨恨や憤怒はおよそ心の雑草に過ぎない
ものと自ら嘲笑うくらいな気持ちで抜き捨てなければ
到底、達し得ない境地なのであった。―そうした心中の
賊に打ち剋つには、あの闇々冷々たる獄中はまことに
天与の道場であった。」(p.351-352)
 
「ああ、ことしも秋の稔りはよいな」と、路傍の稲田の
熟れた垂り穂にうれしさを覚え、朝の陽にきらめく
五穀の露をながめては天地の恩の広大に打たれ、
心がいっぱいになるのだった」(p.353)
 
神さまへの感謝、賛美の辞句も通り一遍ではなく、
吟味して、よく練って、人の心に留まるようなものに
しなければと、改めて勉強になりました。