シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

シャロンのバラ咲く国で

 
 
 喜べない時にも喜んだ。
 耐え難い時に、耐え忍んだ。
 留まっていたい時にも、前進し続けた。
 会話を楽しみたい時に、沈黙を守った。
 自分の考えがあったにもかかわらず、主に従った。
 これが彼の全てだった。

 
聖徒とは、どのような人のことでしょう?

 姿を変えた宝石。

 見すぼらしい着物をまとった王子。

 死ぬべき肉に宿した永遠の生命。

 別世界に遣わされた永遠の王の全権大使。

 王座の傍らで戴冠を待つ支配者。

 土の獄屋にあって、
 大いなる邸宅に住む準備をする 王のしもべ。

 黄金の道を目ざして荒れた道を旅する者。

 深夜、丘に立って、永遠の朝を待ち侘びる見張り人。

 星の輝きに似るため、磨かれるダイヤモンド。

 るつぼの中で、純度を高められている金塊。

 あこや貝の中で 生み出されようとする真珠。

 暗黒の夜に、やがて永遠の光と共に
 燃え上がろうとしている光。

 敵地にあって、永遠の交わりを望み見つつ 生きる寄留者。

 シャロンのバラ咲く国で、今、花びらを開きかける花。

                           作者不明
 
今から17年前の6月2日、長い長い求道の後に、
晴れてクリスチャンとしての一歩を踏み出すことが
できました。遅々とした歩みの生ぬるいクリスチャンを、
何とかして成長させようと、あの手この手で今も手入れを
してくださっている神様の忍耐を思う時、上記の詩に
ある「聖徒」には、ほど遠い自分に身がすくむ思いです。
 
おこがましくて冷や汗が出るから、けっして「聖徒」などと
呼ばないでくださいというのが本音ですが、頭っから否定
するのは逆に神様に対する不遜な態度かもしれません。
 
なぜなら、良い行いを積み上げたからでもなく、きちんと
規則や道徳を守ったからでもなく、毎日欠かさず聖書を
読み、祈り続けたからでもなく、中途半端だからこそ
引きずりあげて、清める必要が神様の側にはあったの
でしょう。清めていただいたから「聖徒」なのであり、
清く正しく生きてきたから「聖徒」ではないのだと納得。
 
<聖徒とは、どのような人のことでしょう?>
 
宝石、王子、永遠の生命、永遠の王の全権大使。
支配者、
黄金の道、永遠の朝、ダイヤモンド。
金塊、真珠、光。
シャロンのバラ咲く国で、今、花びらを開きかける花。

今はまだ泥中にある石ころのような者でも、「聖徒」と
いう光栄のレッテルを貼っていただいた者にある希望を、
深い感謝と共に味わわせていただこうと思います。

「聖徒として召され、キリスト・イエスにあって
 聖なるものとされた方々へ。」
               (コリント人への手紙1章2節)

ブログタイトル「シャロンの薔薇」への深い思い入れから
再度、本文中の詩を紹介させていただきました。