シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。

 

 

 ぶどうが美味しい季節になりました。芳醇な味と香りの

ぶどうそのものも好きですが、私はぶどうをモチーフにした

器や小物も好きで、ぶどうをあしらったオブジェがけっこう

並んでいます。これまで油彩、水彩、アクリル、パステル…、

様々な画材で絵にも描きました。一粒ごとに趣が違うところが

面白いのかもしれません。

 

 教会では30年ほど前から看板の奉仕をさせていただいて

いますが、ぶどうにまつわる聖句や絵を掲げることも多々

あります。すでに現物はありませんが、この聖句もその一例。

グルっと色鉛筆で囲んだぶどうの絵を思い出します。

 

  わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。

  人がわたしにとどまり、

  わたしもその人にとどまっているなら、

  その人は多くの実を結びます。

  わたしを離れては、

  あなたがたは何もすることができないのです。

               ヨハネ福音書15章5節

 

「わたし」(イエスさま)は、「ぶどうの木」。

「あなたがた」、「(その)人」(イエスさまを信じる人々)は、「枝」。

 

 もし枝が木につながっていなければ、いつかは枯れてしまい、

ぶどうの実をつけることはできません。「つながり」がいかに大切で

あるかを教えてくれます。

 

 こちらは週報のカット。通常はモノクロですが、ちょっと色を

塗ってみました。たまに色を変え、一人で塗り絵を楽しんでいます。

 

 私たちはコロナというパンデミックを経験し、今も尚、終息には

至っていません。不要不急の外出禁止が謳われ、街には人っ子一人

いなかった時期もありました。人との「つながり」が分断された、

そんな感覚を覚えたものです。インターネットやスマホなどの

電子機器に頼らざるを得ない、薄闇の中を手探りで歩くような

暮らしが今も続いていて、先が見えないことに不安を覚えます。

 

 文明の利器の素晴らしさは言うまでもありませんが、それらにも

限界があり、人と人を引き離そうとする強い力には到底及びません。

戦争、凶悪犯罪、豪雨や洪水、山火事など自然災害のニュースも

後を絶たない現実があります。

 もう、これ以上は無理。そんな時が来れば、誰もが藁にもすがりたい

気持ちになります。実際、私も3.11の東日本大震災に遭い、為す術を

なくして途方に暮れ、心が折れそうになった経験があります。

 同時に、心の芯棒が折れる寸前という窮地の只中で、か細くて何の

役にも立たない藁などではなくて、本当にすがり、頼ることのできる

全能の神さまの存在を信じる者の強さも、あらためて知ることが

ができました。

 

  父がわたしを愛されたように、

  わたしもあなたがたを愛しました。

  わたしの愛にとどまりなさい。

           ヨハネ15章9節 

 

 人生途上には、思いがけない逆境や試練が待ち受けているものです。

“寄らば大樹の陰”と消極的な安全策を講じる前に、100%の安全を

保証してくれるぶどうの木、イエスさまの愛につながって、豊かな

実を結ぶ枝として生きていきたいものです。