シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

するとそのとき、主が通り過ぎた。(列王記 上)

 新年おめでとうございます。今年も緩やかなペースではありますが、

枠にとらわれず、心に浮かぶあれこれを綴っていきたいと思いますので、

昨年同様よろしくお願い申し上げます。

 

 誰もが新しい年への希望を胸に迎えたであろう2024年の初日。

最大震度7を記録する大地震能登半島を襲いました。13年前、東日本

大震災に遭遇し、困難を極める日々を体験した者として、胸がつまる思いで

います。何より1月の寒さはいっそう恐怖、不安を増大させることでしょう。

まだ救援の手が行き届いていない被災者の方々に、一刻も早く、必要な

助けが与えられますように。心からお祈りいたします。

 

 天災、人災、そして戦闘…。 理不尽と思えることが起こると、多くの人は

「神が本当にいるなら、なぜ?」という疑問を持つと思います。クリスチャン

であっても、「神さま、なぜですか?」と呟いてしまうことが多々あります。

 

 旧約聖書の列王記という書物にエリヤという預言者のことが書かれて

います。心血を注ぎ預言者としての責務を果たしてきたのに、イスラエル

王に命を追われる身となり、すっかり気落ちして、「主よ、もう十分です。

私のいのちを取ってください。」と半ば自暴自棄になっていた、その時の

様子が聖書に描かれています。

 

 主は言われた。「外に出て、山の上で主の前に立て。」

するとそのとき、主が通り過ぎた。主の前で激しい大風が山々を裂き、

岩々を砕いた。しかし、風の中に主はおられなかった。風の後に地震

起こったが、地震の中にも主はおられなかった。地震の後に火があったが、 

火の中にも主はおられなかった。しかし、火の後に、かすかな細い声があった。

                 第一列王記19章11-12節

 

 信じている神さまに見放されているのでは…。そんな絶望が頭をよぎる時、

実は神さまは、共にその場所におられたことが分かります。しかもエリヤの

すぐそば近くに。風の中にも、地震の中にも、火の中にも神さまの姿を

確認することはできなかったけれど、エリヤは自分の横を通り過ぎる時の

気配、かすかに聞こえる声を、確かに感じ取ることができました。

 

 神さまは信じる者を決して見放したりはなさいません。私も被災した

直後の頃はエリヤのように諦めが先行し、心の芯棒が折れそうになりました。

でも神さまに祈りを捧げている時に、不思議なことに心の奥底から神さまの

声が浮かんできたのです(実際に聞こえたわけではありません)。

 「恐れなくていい。これからがわたしの出番だから」と。

たぶん、礼拝説教で聞いた言葉が、心の中に刻まれていたのでしょう。

 

 極限状況のただ中に、神さまは確かに臨在されます。そして「恐れるな。

わたしはあなたと共にいる」と励ましてくださるのです。そんな話は信心が

なければ通用しないと人は言うでしょう。それは、その通りかもしれません。

それでも、艱難辛苦にある今の時だからこそ伝えたいのです。苦しむ人の

傍らで、「立ちなさい」と語りかけられる神さまがいることを。

 

 まだ被害の全容が明らかではありませんが、どうか神さまが、被災者

お一人お一人の上に、慰めと励ましを、そして立ちあがり一歩を踏み出す

勇気と助けを与えてくださいますように。 心よりお祈りいたします。