もともとここは
草はらでした
そこに人間が家を建てて
「雑草が 生えて困る」
なんていっちゃって
おかしいねえ
これは雑草の“ぼやき”でしょうか。なかなか意味深長です。
この季節、私が住むマンションの東側にも十薬(ドクダミ)が
所狭しと生い茂ります。よく見れば十字架にも似た白い花。
清楚で可愛いらしく、十薬の名の通り薬効もあるそうですから、
もっと人に喜ばれて当然のはずなのに、特有の青臭さと繁殖力の
凄まじさに、つい嫌われてしまう悲しい存在。 ⇓こんな感じです。
雑草からの一言、「おかしいねえ」の“ぼやき”には、人間の
エゴイズムが凝縮されているようで興味深いですね。
それぞれ、人には物事の価値基準を測る物差しがあります。
そして自分の物差しは正しいはず‥と信じて行動します。果たして、
それは正解でしょうか? 自己中心の種というものは、その自分の
物差しが絶対だと思う辺りから、じわじわ育っていくように思うのです。
物差しというものは、使えば使うほど手になじんで、持ち主の癖が
出てくるもの。曲がったり、歪んだり、すり減ったりしていても、
案外、気づきにくいものです。物差しを当てた時に、「あれ?」
と、ちょっとでも違和感を感じたら、見直すことが肝要ですね。
そして、もう一つ大切なことは、他の人の物差しにも心を向ける
謙遜な心です。相手の立場に立って物事を考えることを習慣に
すれば、自己中心の種も成長せず、自然消滅することでしょう。