今から12年前の秋、ブログにこんなことを綴っていました。
「役目は終わろうとも‥」というタイトルで。
教会へ続く坂の途中、見事な紫陽花が咲いている家がありました。
目も覚める美しいスカイブルーの紫陽花でした。庭の手入れを
しているのは老夫婦。二人暮らしだったのかもしれません。
季節が変わり、夏が来て、秋が訪れ、冬がやって来ても、
その紫陽花はキリリとした存在感を示していました。
初冬ともなれば、さすがに最後の七変化。ドライフラワーの
ようにセピア色にになりますが、それもまた“いと おかし”。
花は、花としての役割は終えたとしても、そこには深い余韻が
残ります。最盛期の姿ではないけれど、人の心に残像や香りを
残します。枯れて尚、役目を果たし続けているのですね。
クリスチャンもそうありたいと思うのです。
その他大勢に埋もれていても、そこはかとなく漂うフレグランス、
キリストの香りを放つ者になりたいものです。
さて、このお宅の今はどうなっているでしょうか?
5年ほど前から、老夫婦が花に水やりをする姿を見かけなく
なり、どうしたのかなと気になっていたのですが‥。
ある日、坂を登っていくと、家があった所が更地になって
いたのです。もちろん、紫陽花もジャスミンも根こそぎ
抜き取られて。世の常とは言え、もの悲しさを募らせた
ことを覚えています。今は、マンションが立ち、紫陽花が
あった辺りには飲料用の自動販売機が設置されています。
もうだいぶ歳月が流れましたが、私の心の目には真っ青な
紫陽花が今も焼きついています。