シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

人生という旅に 賛美の歌を

  

 

 日曜ごとに行われる礼拝の式次第の中ほどに、聖書の「交読文」の

プログラムがあり、司会者と会衆が1節ずつ交互に聖書を読み上げます。

10月8日の礼拝では旧約聖書詩篇119篇の一部を交読しましたが、

心にグッと響く1節がありました。

 「あなたのおきては 私の旅の家で 私の歌となりました。」

                    (詩篇119篇54節)

 旅をする中で、自然に歌が湧いてくる。何気ないことのようでも

ありますが、それはなんて開放感のある素敵な瞬間なのでしょう。 

まさにこの聖句には、聖書が語る人生観が凝縮されているなぁと…。

 

 もう何年も前の話ですが、ドイツ人宣教師のH先生がゲストで礼拝に

来られた時、説教の中でとてもユニークな話をされたことがありました。

 

 「実は私はエイリアンなんです。身分証明書にも、そう書いてあります」

さらに、「エイリアンと言っても、宇宙人とか異星人ではありませんよ。

エイリアンとは寄留者とか在留外国人を指す言葉なんです。だから私は

れっきとしたエイリアンということになります」

 

 なるほど! 在留外国人の皆さんは全てエイリアンなのかと、妙に納得

したものでした。そういう意味からすると、クリスチャンもエイリアン

なのかもしれないなと思いました。宗教観やさまざまな価値観を異にする

大群衆の中で、キリスト教信仰を貫いて生きる存在なのですから。

そもそも、クリスチャンがエイリアンであるかも…という説は(?)、

旧約聖書の時代に端を発しているのかなと。

 

 今から3000年以上も前、エジプトの奴隷だったイスラエル民族は、

苦役から逃れるため、指導者モーセに率いられてエジプト脱出を決行します。

荒野での凄絶な40年の旅を強いられ、老若男女合わせて200万人とも

言われる民族が大移動するわけです。恐れと不安の只中をさすらうこの旅を

彼らは仮の宿と位置付け、どこまでも寄留者としてのアイデンティティーを

保って試練の旅を続けていたのではないかと思われます。

 

 希望のかけらも見えない過酷な旅の途上、それでも彼らの唇には歌が

あったと詩篇の作者は書いているのです。

 「あなたのおきては、私の家で私の歌となりました。」

あなたとは、神さまのこと。 おきては、神さまのことば。神さまの約束。

家とは、自分の人生、境遇を。歌は神さまへの感謝と賛美の祈りを指して

いるのでしょう。

 

 どんな辛いことが次々に押し寄せても、状況が変化しても、神さまの

ことば、約束は変わることがない。神さまへの揺るぎない信頼こそが

旅の道標、モチベーションである時、たとえ状況はどうあろうとも、

自ずと神さまへの賛美と感謝の歌が口に上って来る。

 

 苦しい時も、悲しい時も、悩んでいる時も、希望が持てない時も、

神さまの約束のことばを思い出し、苦難を賛美の歌に変えることの

できる人生の旅人、エイリアンでありたいと願っています。