これは何? 自分でも何を表現したかったのか思い出せない昔の貼り絵。
9月上旬、パステル画サークルのお仲間5人で、乃木坂にある
国立新美術館・第107回二科展に行ってきました。二科展へは
御歳90歳になられる先輩が100号の大作を出展されていました。
創作意欲がますます盛んな大先輩。本当に頭が下がります。
油彩、水彩、パステル画…。 一通りの絵画の技術を学ばれた
先輩ですが、さらに自分に合う、最も楽しい技法を見つけられて、
ただひたすらキャンバスに向かう毎日。素晴らしいですね。
その技法 ― 何と呼んでいいのか分からないのですが、貼り絵 ?
それとも、ちぎり絵 ? 手で揉んだ和紙を墨汁や絵の具で染めて
乾燥させ、手でちぎったものを糊で貼っていくだけ。それも無我の
境地で。墨の濃淡や、ちぎった紙の形から思いがけないモチーフが
浮かび上がってくる楽しさに魅了されたのだそうです。
著作権の問題もあるので、ここに揚げることはできませんが、今回、
先輩の絵のタイトルは「喜怒哀楽」でした。確かに目を凝らすと、
怒った人の顔、喜んでいる犬の表情、悲しげな女の人の横顔などが
見えて「なるほど!」とびっくり。 こういう手法もあるのかと。
絵を描くことに限界を感じている私にも、まだ伸びしろがあるのかなと、
ちょっと嬉しくなりました。
熊井明子著『私の部屋のポプリ』の中に、「コラージュの楽しみ」
というエッセイがあります。
コラージュこそ、自分で作り、その過程を愉しむものだと思います。
夕焼け雲が猫に、法王の衣が蝶々に、青空は少年の瞳になる面白さ。
一切にとらわれない目で絵や写真を眺め、貴女だけの世界を新しく
作る。これはナンセンスの練習なのです。
先輩の絵は、写真などの切り抜きを貼るコラージュとは違う手法
ですが、過程を愉しむ点においては、まさに同じです。 “ナンセンスの
練習”という、熊井さん一流の表現も、お見事!です。ナンセンスの過程を
楽しむ中で、ポッカリ出現する模様・形のサプライズ。
“意味の無いものなんて、一つも無い?”
“意味はどうにかして見つけるもの?”
なんだか、究極の結論に辿り着いた哲学者の気分が、うっすら見えた
気もする美術館めぐりでした(~_~;)。