シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

朝日は一人で、夕日は誰かと一緒に

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あと2、3ヶ月したら、あと半年もしたら‥と、コロナが

鳴りを潜めてくれるものと期待して、はや1年半あまり。

いっこうに感染拡大に歯止めが効きません。

自粛生活も慣れてきたと言うより、もう惰性のような感じ(-_-;)

大きな制限がある中、何かを始めようにも、なかなか

やる気スイッチが入らず、無為な時が流れていきます。

 

若い方には的外れな話題かもしれませんが、私自身を含め、

それなりにお年を召した皆さん、コロナ禍にあるフレイル

というものを、どう捉え、どう向き合っていますか?

 

最近よく目にするフレイルという言葉。「虚弱」という

意味があるそうです。人間、年を取れば体力も知力も

精神力も弱まっていきます。もっと分かりやすく言うと

フレイルとは、要支援・要介護の一歩手前の時期をさす、

現代用語のようです。生活の多方面で、「昔のようには

出来ないな~」という自覚がある我が身には、「フレイル、

そんなの関係ない」とは絶対に言えないですよね。さらに

コロナがフレイルに拍車をかける。これが深刻な問題です。

 

多くの真面目な人はマスクや手洗いを徹底し、行動自粛に

協力しています。趣味のサークルや、会食、ショッピング、

旅行も、しばらくはお預け。さすがに一人遊びが得意な私も、

ボテボテの時間守りに入ってきた感があります。みんな、もう

うっぷんでいっぱいいっぱい。うっぷんが詰まったバルーンが、

今、パチンと弾けても何の不思議もありません。

 

こんな言葉を聞いたことがあります。

「朝日は一人で仰いでも良いが、夕日は誰かと一緒に眺めたい」

 

さんさんと降り注ぐ朝日は、恵みを一人で享受するも良し。

しかし、疲れた下り坂で眺める夕日は、誰かと一緒のほうが良い。

 

初めは一人でも元気もりもり。だけど、いろんなことがあった

後の終着地点、そっと誰かが寄り添ってくれたら心強い。

そう思う気持ち、とても深く共感できますね。

誰でも年をとります。だんだん力が弱くなってきます。もちろん

自立した高齢者もたくさんいます。でも、人生の最終章に臨む時、

人は人を必要とし、心と心の触れ合いを求めるようになるのでは

ないでしょうか。

誰ひとり避けて通れないフレイルの時。誰かを必要とする移行期が

あるのだということを、しみじみ考えさせられます。

 ※朝顔=Morning Glory。