シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

「ことば」と「沈黙」

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三、四年前、何気なく開いた新聞に、ハリール・ジブラーンという
レバノン生まれの詩人の記事が載っていました。
その時、私はジブラーンという名前を初めて知り、心のセンサーが
動くままに一冊の詩集を購入。そこに書かれている言葉の美しさ、
宇宙的なテーマの壮大さ、深遠さに、たちまち魅了されたのでした。

ジブラーンの作品は、アラビア諸国、アメリカ、ヨーロッパ、南米、
中国と、広く浸透し親しまれています。特にアメリカでは聖書に次ぐ
ミリオン・セラーとも言われているとか。
それほどの詩人が、なぜ日本では無名に近いのか‥
不思議であるというより、この深みのある詩を知らずにいるのは、
なんという損失だろうと、残念に思うのです。

ジブラーンの代表作『予言者』の中から、一つの詩を紹介します。


   しゃべることについて      訳・神谷 美恵子

 しゃべることについてお話を、とある学者が言った。
 彼は答えて言った。
 心が平和でなくなったとき
 あなたがたはしゃべる。
 心の孤独に耐えられなくなったとき
 あなたがたは唇に生き
 音は気散じと慰みになる。
 おしゃべりの多くの中で
 思考(かんがえ)は半ば殺される。
 思考は空間(スペース)を必要とする鳥だから、
 ことばの籠の中では羽を広げるだけで
 飛び立つことができない。

 ひとりで居るのを恐れて
 話好きの人を探し求める者がある。
 ひとりで黙っていると、裸の自己が見えるから
 それを逃げたいと思うのだ。
 ある者は自分でもわからずに、
 知識も予感もなく話しているうちに、
 ある真理をあきらかにすることがある。
 かと思うと、内に真理を抱きながら
 ことばで告げない者がある。
 彼らのうちには、リズムある沈黙をたもって
 精神が宿っているのだ。
 道端や市場で友達に会うとき、
 あなたの内なる精神に導かせて
 唇と舌を動かしなさい。
 あなたの声の内なる声に
 友の耳の内なる耳に語らせない
 なぜなら友の魂はワインの味をおぼえるように
 たとえ色が忘れられ、器が失せた後でも
 あなたの心の真実をおぼえつづけるだろうから。

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おしゃべりに、時間を浪費してはいないでしょうか?

「語るに時あり、沈黙するに時あり」
「沈黙は多弁を覆う」

生きていく上で最も大切なコミュニケーションの「ことば」と、
時には、それをはるかに凌ぐ深い「沈黙」の大切さを考えさせられます。