シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

最上のわざ

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今日は一日早い、敬老の日の礼拝に行ってきました。
恒例のプレゼントは、まだ教会で決められた基準(笑)に達して
いないので、いただくことはできませんでした^^; いただいたら
いただいたで、ちょっと複雑な気持ちになるかも‥ですが(;´∀`)

さて、今日の礼拝説教は旧約聖書詩篇71篇からでした。
説教題は「神に希望を置く人の祈り」。

高齢になっても、人に迷惑をかけたくないがために、
自分で何とか解決しようとする人は多いと思います。そのために
ふだんから節制し、健康維持に努める姿勢は素晴らしい!
でも、一人では解決できない衰えを自覚したときは、神様に
また傍にいる人に、助けを求めて良いのだと詩人は言います。

神である主よ
あなたは私の望み
若い日からの拠り所。
‥‥
年老いたときも 私を見放さないでください。
私の力が衰え果てても 見捨てないでください。
          (詩篇 71篇 5-9節)

衰えと共に、「神はあなたを見捨てた」と囁く声を、おそらく詩人も
聞いたことでしょう。しかし、それでもなお成長することを望み、
救いの経験の素晴らしさを、後の世に伝えたいと願う詩人に、
成熟した信仰者の姿を見ることができます。

年老いて 白髪頭になったとしても
神よ 私を捨てないでください。
私はなおも告げ知らせます。あなたの力を世に。
あなたの大能のみわざを 後に来るすべての者に。
          (詩篇 71篇 18節)

老いは誰にでも平等にやって来ます。だからこそ、この詩人を模範に、
迫りくる老いに抗わず、受け入れ、神様に委ねて生きる、そのような
生き方を選び取っっていきたいものです。

説教の中で、「最上のわざ」という詩が紹介されました。
上智大学の学長を務められたヘルマン・ホイベルス神父が、
著書「人生の秋に」の中で紹介している詩(作者不明)です。

     「最上のわざ」

この世の最上のわざは何?
美しい心で年をとり、働きたいけれども休み、
しゃべりたいけれども黙り、失望しそうなときに希望し、
従順に、平静に、おのれの十字架を担う――。
若者が元気いっぱいで神の道を歩むのを見ても、妬まず、
人々のために働くよりも、謙虚に人の世話になり、
弱って、もはや人のために役立たずとも、親切で柔和であること――。
老いの重荷は神のたまもの。
古びた心に、これで最後の磨きをかける。
まことのふるさとへ行くために――。
おのれを この世につなぐ鎖を 少しずつ外していくのは、真にえらい仕事―。
こうして何もできなくなれば、それを謙虚に承諾するのだ。
神は最後にいちばんよい仕事を残してくださる。それは祈りだ――。
手は何もできない。けれども最後まで合掌できる。
愛するすべての人の上に、神の恵みを求めるために――。
すべてをなし終えたら、臨終の床に神の声を聞くだろう。
「来よ、わが友よ。我、汝を見捨てじ」と。

合掌すらできない場合もあるでしょう。それでも私たちは、
神様に感謝の祈りを捧げることができます。愛するすべての人の
ために祈ることができます。祈りは、私たちに与えられた最上の
プレゼントであり、わざなのですね。

※写真は14日(金)、孫の幼稚園の敬老会でもらったコースター。
 タマちゃんが一生懸命、作ってくれました。