シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

抜き打ちテスト

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20年近く都内で一人暮らしをしていた長男が、一昨年の暮れ、
歩いて数分のアパートに引っ越してきました。
会社の寮、賃貸マンションに、それぞれ約10年住み、今も独身貴族を
謳歌中。幼少のころから厳しく生活習慣を躾けてきたつもりでしたが、
生来の面倒くさがりは、今も変わらず。勉強や仕事、趣味に対する
姿勢は至極まじめなのですが、それ以外のことには極めて淡泊な
性分のようです。常識の範囲で必要最低限のことだけやる。それが
長男流なのかもしれません。


都内で暮らしていた頃は、ほとんど息子の部屋を訪ねたことなど
ありませんでした。遠かったせいもあるけれど、自分自身も忙しく
成人した息子の世話をやくだけの余裕がなかったのでしょうね。
世の母親と息子の“あるある”からすれば、ちょっと低密度だった
かなぁ‥との反省もあります(^^


せっかく近くに越してきたことだし、たまには様子を見に行くのも
ありかなと、2、3カ月に一度くらいではありますが、買い物帰りに
立ち寄る機会も増えました。息子には「抜き打ちテストありね!」
と宣言してあるので、ふいに訪ねてもノー・プロブレムです(笑)


そんなわけで、お天気の良い今日、久しぶりに行ってきました。
まあ、一人暮らしのサラリーマン。お世辞にもきれいに片付いている
とは言えませんが、ゴミ出しだけは、きちんと守っていましたね。
教えた通り、ペットボトルのキャップが分別されていて、びっくり!
洗濯物も、部屋干しですがハンガーラックにかかっていたし、乾いた
ものはたたんでありました。一応、最低限のことは出来ているようで、
安心しました。40歳超えの成人男子、当たり前のことですが、親心と
してはホッとしたといったところです!


聖書には、“抜き打ちテスト”と言えるような箇所があります。


しかし、このことは知っておきなさい。家の主人は、どろぼうが
  夜の何時に来ると知っていたら、目を見張っていたでしょうし、
  また、おめおめと自分の家に押し入られはしなかったでしょう。
  だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、
  思いがけない時に来るのですから。 
                 マタイの福音書24章45-46節


    ※「人の子」とは、聖書ではイエス・キリストを指します。


クリスチャンとはイエス様が再び来られる日、つまり再臨の時を
信じている者です。だから、その時が来るのをいつも意識し、
心の目を覚まして準備していなければなりません。イエス様の再臨を
待ち望むクリスチャンは、備えができていないなどという言い訳は
できないからです。抜き打ちに、思いがけない時に、それも盗人のように
突然に来られる‥という警告の聖句として、真摯に受け留めなければ
なりません。


以前、教会の講演会で説教をされた牧師さんの言葉が印象的でした。


「毎晩、私は寝る前に履き物をそろえ、玄関を整えています。
 イエス様が、いつ来られても、慌てないようにね」


抜き打ちテストには誰でもドキッと驚かされますが、たとえどんな
状況が襲ってきても、詭弁やカモフラージュや、その場しのぎの
言い逃れをして慌てふためく姿は見苦しいものに違いありません。


用意周到。転ばぬ先の杖。備えあれば憂いなし。


“抜き打ちテストなど何のその”。日頃から十分な備えをもって、
慌てず騒がず、冷静に対処したいものです。
残暑厳しき折の雑感あれこれ‥でした。