1月も半ばを過ぎてしまいました。
年頭のご挨拶が遅れましたが、本年もブログ「シャロンの薔薇」を
よろしくお願いいたします。かなりスローペースではありますが、
ひらめきに従い、のんびり更新していきたいと思います。
お暇のある方は、お立ち寄りくださいませ。
3月で東日本大震災から丸5年が経ちます。
進まぬ復興に、未だ希望を見出だせない人。出会い、絆といった
人との新たな関わりの中で未来へ前進しようとする人。
そんな悲喜こもごもの思いを包含しつつ、今この時を生きている
人が大勢います。一人一人、思いの丈を文章化するならば、
どれほど多くの体験記やエッセイが世にあふれることでしょうか。
私もその中の一人ですが、当時、ふと心に留めたエピソードを一つ。
震災の10日後くらいだったでしょうか。人々が日常を取り戻すべく
ようやく動き始めた頃のことです。夫の母をかかりつけの病院に連れて
行った時、待合室の壁に貼られたポスターに目が留まりました。
「健康な人は、病気になる心配はあるが、
病人には、回復するという楽しみがある」
この2行の言葉が、氷が溶けるようにストンと心に落ちました。
素直に聞くなら、この言葉は素晴らしい「思い煩い」の処方箋。
「健康な人」と「心配」、「病人」と「楽しみ」。
ふつうなら真逆の心理状態のはずが、まさに真実をついています。
諸説によれば「思い煩い」という言葉には、「心の中で、二つの力が
反対に引っ張り合うこと」という意味があるそうです。神様にしか
できないことを、無謀にも自分でやろうとして、もがき苦しむこと。
自分にしかできないことを、くよくよ悩んで神様のせいにしたり、
人のせいにしてしまうこと。
要は、「神様にしかできないこと」と「自分にしかできないこと」を
しっかり見分けることが大事だということなのでしょう。
神様にしかできないこと―。
私たちの一番の思い煩い、生老病死を司るのは神様の領域。
自分にしかできないこと―。
過度の心配や取り越し苦労をやめ、思い煩いを神様にゆだねること。
生かされている今を、置かれた所を感謝すること。
8年の求道の後、私が受洗を決意したのは、聖書の次の言葉でした。
「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。
神があなたがたのことを心配してくださるからです。」
-新改訳聖書 Iペテロ5章7節-
すべての思い煩いの処方箋は、「神様にゆだねる」ことだと
と思います。新しい一年も、ゆだねて生きることを第一とし、
心が平安で満たされるように祈りたいと思います。