シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

祈りの実を集める






私が所属する教会では、今年から全体の取り組みとして
通読表を利用した聖書通読と、毎月の祈りの課題を
まとめた祈りのノートに沿って、それぞれに祈る時間を
持つようにしています。

聖書通読、祈りに要する時間は人それぞれですが、
おそらく誰にとっても、そう短いものではありません。
ゆとりがある時に、などと思っていては継続できませんから、
朝とか寝る前とか、時間を決めて取り組んでいる人が
ほとんどだと思います。

義務でも強制でもないのに、うっかり一日でも忘れると、
朝ごはんを抜いたような、頼りない感覚が湧いてくるから
不思議です。

続けることに意味があるのだと心に言い聞かせ、
努力はしているけれども、まだまだツメが甘いのが現実。
通読はかなり遅れ気味ですが、年を跨いでも最後まで
読み通すつもりでいます。そして、これは声を大にして
アピールしたいのですが、聖書は面白いということ!
バイブルとは「The Book」、つまり「本の中の本」。
それが実感できる比類なき一冊なのだと、感動しながら
読み進めています。

祈りの課題もグローバルなものから、個人のものまで、
心をこめて祈ります。感謝の祈り、願いごと、執り成しの
祈り‥。祈りとはご利益を求めるだけのものではないのです。

「祈りとは、水道の蛇口の真下に湯のみを置くようなもの
です。神が恵みを満たしてくださるために、自分を空の器に
して、主のみもとに置くことなのです。」
      (まなべ あきら著『敬虔な生活の訓練』より)

クリスチャンが陥りやすい間違いがあります。一生懸命に
祈りますが、祈りっぱなしということが、ままあります。
祈りの言葉に酔っているわけではありませんが、心をこめて
祈ったという充足感で、ほっと気を抜いてしまうのかも
しれません。でも祈りはずっと、ずっと続いているのです。
一つ一つ祈ったことを心に覚えておいて、今日も明日も
あさっても、祈りの結果に目を留めることが祈る者の
義務でもあり、責任でもあるように思います。

そうして祈りの実を篭に集めていく時に、確かに神様が
私たちの祈りを聞いておられること、祈りに答えてくださって
いることを知るようになります。