シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

すべてを完全に結ぶ帯

 
 これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。
   愛は、すべてを完全に結ぶ帯である。」 (口語訳)
           コロサイ人への手紙314節 
 
私は和服を全く着ません。和服が嫌いだからではなく、
帯の締めつけが極端に苦手だからです。病気では
ありませんが、若い頃から心臓の心拍数が弱く、速い
傾向があり、息がきれるため自ずと胸の圧迫を避け、
できるだけ急激な運動などもしないようにしてきました。

そうは言っても母親は、晴れの成人式には娘に晴れ着を
着せたかったのでしょうね。一生懸命、生地を選んで立派な
振り袖を新調してくれました。母の思いに応えたい気持ちは
強かったのですが、長時間、苦しい思いをすることには
耐えられそうもなく、その上、成人式にも欠席するという
親不孝者でした。ついに一度も袖を通すことのなかった
晴れ着一式。今は和服大好きのヤングミセス、姪の手に
渡って大切にされています。母にとっては孫に当たる姪っ子の
着物姿を見せてあげたかったな‥。
 
晴れ着の話題が出たところで、上述の聖書箇所にある
「帯」というキーワードについて考えてみたいと思います。
 
どんな豪華な着物でも、最後に帯を締めなければ人前に
出ることはできません。襦袢、帯締め帯留め、足袋‥と
高価なパーツがすべて揃っていても、帯を結ばなければ
それは衣服とは言えないのです。
 
同じように、人との関係の中に生きる私たちに足りない
最後のものは何でしょう。

「すべてを完全に結ぶ帯」

つまり、それはイエス・キリストの愛ではないでしょうか。
一見、穏やかで平和に見える関係でも、そこに親切、
謙遜、柔和、忍耐、寛容、柔和、自制といった、相手を
思いやる真実の愛が伴っていなければ、着物が着崩れしたり、
ほどけたりするように、いったん事が起これば、たちまち
ギクシャクしてきます。
 
残念ながら私たちは、人と人の‘結び目’となる帯を
持ち合わせていませんから、神様の愛を帯として
身につけられるように祈り求めたいものです。