シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

珠玉の言葉に出会う時


ここ何年か、ブックオフやネット通販サイトを利用する機会が
増え、めっきり書店で本を購入することが少なくなりました。
それに家族が皆、読書好きとあって蔵書の数は半端なく、
我が家は超重量級家屋であることが悩みの種です。不要な本を
処分し、できるだけ新たに買わないように努力していますが、
それでも地味に増え続けています^^;
 
新刊に触手が動くのをグッとこらえ、若い頃に読んだ本を
引っ張り出して読み返すようにしているのですが、昔はこんな
感じだったのかと隔世の感を禁じ得ないものがあります。
文庫本などは特にそうですが、思わずドン引きしそうなほど
字が小さい!!! 印字が薄い!!! 読みづらい!!!
それでも忍耐しつつ何冊かを読了。正直、どっと疲れが(-_-;)
 
先日、太宰治の『斜陽』を読み終えました。悲しいかな人間の
記憶とはなんと頼りないものなのでしょう。ぼんやりした輪郭
しか覚えていませんでした。読んだつもりでいても、現実は
「初めまして」に近い本も多いでしょうから、体験的には
古い本の再読、お勧めです。
 
話は戻りますが、『斜陽』の中の一箇所が目に留まりました。

機(おり)にかなひて語る言(ことば)は 
 銀の彫刻物(ほりもの)に金の林檎を嵌めたるが如し」

旧約聖書箴言(しんげん)2511節から引用した言葉ですね。
これは文語体ですが、口語体にすると、

「時宜にかなって語られることばは 銀の彫り物にはめられた
 金のりんごのようだ」(新改訳)

゛これ以上ない適切な金言 “といった意味になるでしょうか。
 
聖書の箴言の続き12節を読むと、次のような言葉が。

「知恵のある叱責は、それを聞く者の耳にとって
金の耳輪、黄金(こがね)の飾りのようだ」(新改訳)

人に言葉を贈ったり、ましてや意見や叱責をするのは、とても
難しいことですが、その人の心のストライクゾーンにビシッと
届くならば、たとえスパイシーでも、その人にとって珠玉の
言葉になるかもしれません。旧約聖書箴言は珠玉の言葉の
宝庫と言われていますから、文学に引用されることも多いの
でしょうね。

良い言葉に出会うこと―。
それが読書の醍醐味ではないでしょうか。