シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

もういちど “絆” を考える

 
昨年末、京都の清水寺で発表された「今年の漢字」は“絆”。
東日本大震災後、断ち切られ、失われつつある人との結びつきを
つなぎとめるために、“絆”が選ばれたのは妥当だったと思います。
 
先月、自分史のサークルで“絆”の語源や本来の意味について
講義を受けました。ところが、配られた資料を見て自分が抱いて
いたものとは、かなり違う意味合いの字であることにビックリ!
 
字の構成から考えて、糸を半分ずつ持ってつながっている、
人と人との強固で美しい関係をイメージしていたのですが、
どうもそれだけでは解釈が不十分のようなのです。
 
糸偏の「糸」は分かります。旁(つくり)である「半」は
物を左右に分けることを意味する「八」と「牛」から成り立ち、
いけにえの牛を真っ二つに引き裂くことを表すのだそうです。
古くは動物をつなぎ止めておく綱という意味で使われ、牛や馬が
逃げ出さないための首綱のことだったとか。
 
動詞形では「絆(ほだ)す」、「絆(ほだ)される」などと
使われることからも、「しがらみ」や「枷(かせ)」といった、
なかなか断ち切れない否定的な人間関係を表します。
 そう考えると、“絆”とは強い結びつきを表す麗しい一面と、
相手の心を束縛する不自由さの両面を併せ持つ字ということに
なるわけですね。
 
あまりに気高く、清く、美しい“絆”のイメージが定着し過ぎて、
それこそ日本人が情に絆(ほだ)され、何となく錯覚したまま、
“絆”の字だけが一人歩きしてしまわないようにと、心ひそかに
心配の種を抱いた一月の勉強会でした。
 
※写真は夫が東北新幹線の車窓から写した1月の仙台平野です。