シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

勇気

       
                                                                                                             一月の浅間山
 
        「勇気の教訓」  
     
             阿久悠著 『ただ時の過ぎゆかぬように』より
 
 勇気を忘れて何年になるだろう
 いや 何十年かもしれない
 勇気に体が反応することを
 すっかり忘れていた
 勇気の価値を知ってはいるが
 それは頭の中だけで
 何よりも優先してそれが働くことは
 決してなかった
 勇気は出遅れると
 もう出番を失ってしまう
 他人の目も気になるし
 恐怖も足を引っ張る
 損をすると囁くものがある
 馬鹿をみるぜと諭すやつがいる
 お前が引き受けることはないと
 体を硬直させてしまう
 その硬直を解きほぐすために
 お前はスーパーマンじゃないんだからと
 自分に言い聞かせる
 その小さな葛藤の間に
 勇気は出番を失って消滅する
 大抵の人がそうなのだ
 勇気を知らないわけじゃない
 勇気を先頭きって走らせる
 そのための勇気がないのだ
 それは たぶん
 勇気の必要を架空のこととし
 自分が使うことはないだろうと
 きめてしまっているからに違いない
 だが 勇気を必要とするのは
 百パーセント 突発で
 心の中で会話を聞いているヒマがない
 人を救(たす)けること 人の役に立つこと
 自分を投げ出すことは 瞬間の決断で
 それが出来る人は凄い
 韓国の青年 日本のカメラマン
 あなたたち二人が教えたものは
 二十一世紀のテーマかもしれない
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2001年1月、JR新大久保駅でホームから転落した人を助けようとした
2人の男性が、巻き添えとなって死亡したニュースを覚えている方も
多いと思います。先日テレビの報道番組で、そのうちの一人で
韓国人留学生だった男性のご両親が悲しみの現場に立ち、黙祷を
捧げる姿が映し出されました。
 
<勇気を必要とするのは  百パーセント 突発>
<自分を投げ出すことは 瞬間の決断>
 
おそらくその瞬間、自分なら“飛び越えない一線” “乗り越えない壁”に
呆然と立ち尽くし、その後に後悔の時間だけが虚しく過ぎていくのだろうな‥。
やや自嘲気味の見解ではありますが、きっと私は真の勇気を持ち合わせて
いない人間だと思うのです。
 
だからこそ、真実の勇気が現実にあるのだということを知る時、素直に感動し、
救われた気持ちになるのかもしれません。