シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

海を抱いたビー玉

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最近ふとしたきっかけから“目から鱗”の小説に出会いました。

『海を抱いたビー玉』。

以前ブログで紹介した『永遠のサッカー小僧 中村憲剛物語』の著者、
森沢明夫さんの作品です。サッカー・ファンだったから出会えた本。
サッカーが好きで良かったと、心から思える一冊です。

裏表紙の紹介文から一部、転載させていただくと‥

「運転手の親子に愛されたことで「心」を持った瀬戸内海の小さな
ボンネットバスと、手にした者に勇気を与える不思議な青いビー玉が、
時代を超え、運命に導かれながら旅をしていくファンタジー
旅は、懐かしい昭和40年代の瀬戸内海の島から、大震災に見舞われた
山古志村へ…。
少年と、バスと、少年の心を持った魅力的な大人たちが、
「生きることの美しさ」を優しく語りかけてくれる、事実をもとに
描いた軌跡と感動の物語…。」

モノには魂が宿る‥かどうか、考え方は人それぞれ。正解なんてないと
思うのです。でも、物語に登場する‘少年の心を持った魅力的な大人たち’
は皆、「モノには魂がある」と信じて疑わない人ばかり。
それは「モノを大切に」というメッセージにとどまりません。
かけがえのない大切なモノに、とことん愛情を注ぎ、関わり続ける生き方の
選択。こんな素敵なこだわりを持って生きるなら、どれだけ人生の味わいも
濃く深くなるのでしょうね。しかも、その深い思いがモノに伝わったなら‥ 
世界観がグルッと変わりそうでドキドキします。

さて、人に愛され「心」が芽生えたボンネットバスは何度も試みます。
大好きな人に思いを伝えたくて「ミシッ」と床板を軋ませて。
何度読んでも、ホロリとするシーンです。

でも、ボンネットバスはあることに気づきます。

「こういうバスにはのう、人を笑顔にしたり元気にしたりするエネルギーが
宿ってますけん。そういう大切な価値に気づかないまま、ただ古いモノ
だからっちゅう理由で物置にしまい込んだり、捨ててしまったりするのは
もったいないじゃろう‥」

「大切な価値に気づかないまま‥」
館長さんのこの言葉に、ボンネットバスのヘッドライトからウロコが
ぽろりと落ちます。それを読んだ私の目からも、ぽろっと鱗が落ちました。

「そう。ボクはついさっき、気づいてしまったのだ。モノとして幸福に
生きていく方法を。たしかにボクは自由に『動く』ことはできないけれど
自由に『思う』ことも『感じる』こともできる。それは唯一無二の現実で
あって、だれのせいでもない。だったら――。
その現実をまるごと受け入れて、その先に見つけられる大切な価値に“気づき”
ながら生きていけばいい。日常にある小さな幸せに一つでも多く“気づき”
ながら日々の幸福をかみしめていればいいのだ。そして、それだけが、ボクが
モノとして幸せに生きるための、たった一つの術なのだと思った。」

ここでふと、一つの詩が浮かびました。
花の詩画集でお馴染みの、星野富弘さんの「はなきりん」に寄せた詩です。

 動ける人が
 動かないでいるのには
 忍耐が必要だ
 私のように 動けないものが
 動けないでいるのに
 忍耐など必要だろうか
 そう気づいた時
 私の体をギリギリに縛りつけていた
 忍耐という棘のはえた縄が
 “フッ”と解けたような気がした

人間の悲しみの極みとは、自分が本来の自分として評価されなくなった
時ではないでしょうか。高度障害を持つ星野さんが、花キリンの棘をみて
気づいたこと―
それは、ボンネットバスの“気づき”につながるように思えるのです。

実は、ボンネットバスは今も越後湯沢で使用されているのだとか。
しかも粋な計らいで、床板のくぼみにはビー玉が納まっているそうです。

手に取った人に勇気と希望を与える青いビー玉。
心の琴線に触れたとき「凜」と光る海の色のビー玉。
いつか勇気をもらいに、ビー玉に会いに行けたらいいなと本気で思っています。
押し迫った年の瀬に、清々しい本に出会えたことに感謝です!