シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

曼珠沙華(マンジュシャゲ) ― 「長崎物語」

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シルバー・ウィーク3日目の9月21日、彼岸花の名所に行ってきました。
埼玉県日高市にある曼珠沙華の里「巾着田」というところです。
宣伝文句に違わず、どこまでも続く真っ赤な花の波。
まさに豪奢な絨毯です。
赤い色を見ると心が騒ぐと言いますが、曼珠沙華の深い朱色は、
目にも心にも不思議に優しく吸収されました。

曼珠沙華(マンジュシャカ)」なら山口百恵さん。
でも私の中で思い浮かぶのは、こちらの曼珠沙華マンジュシャゲ)♪

  ♪ 赤い花なら 曼珠沙華
    阿蘭陀(オランダ)屋敷に 雨が降る
    濡れて泣いてる じゃがたらお春
    未練な出船の あゝ鐘が鳴る
    ララ鐘が鳴る

誰の歌? 曲名は?
まったく知らないのに、なぜか口をついて出てくるのです。
幼い頃、母か祖母が口ずさむのを聞いていたからでしょうか。
この歌、「長崎物語」は昭和13年にヒットした曲の一節のようです。
(作詞 梅木三郎、作曲 佐々木俊一、歌 谷 真酉美)

「物語」というからにはストーリーがあるはず‥。
なんだか訳ありの歌詞に興味が湧き、調べてみることにしました。

ヒロインの名は“じゃがたらお春”。

今から350年ほど前、お春はポルトガル商船の航海士だった
イタリア人ニコラスと、日本人女性との間に生まれました。
産後、母はすぐに他界。父ニコラスも妻を亡くした悲しみから、
お春を祖父に託してオランダへ行ってしまいます。
お春は長崎で貿易商を営む祖父の元で、蝶よ花よの幸せな暮らしを
していましたが、徳川幕府キリスト教を禁止。
オランダを除く外国との貿易をやめ、西洋人や西洋人との混血児も
すべて国外に追放するという、おふれを出しました。
祖父がどんなに手を尽くしてかくまおうとも、13歳になったばかりの
お春の美しさは隠し通せるものではありません。
ついにお春は役人の目に止まり、同じ身の上の人たちと、
じゃがたら(現在のジャカルタ)へ追放されてしまいます。

薄幸な身の上に翻弄され、遠い異境の地じゃがたら
72歳の生涯を閉じたお春さん。
帰りたくても帰れない、望郷の思いが募れば募るほど、
思い出の中の曼珠沙華の赤い色も、いや増していったのかもしれません。

きっとこれから曼珠沙華を見る度に、この切なく悲しい長崎物語の
お春さんのことが心をよぎることでしょう。