9月19日夜、中学生と小学生の孫から電話が来ました。
「今日は敬老の日だから、電話したんだよ」と。
もう、「敬老」の対象であることは重々承知していますが、
忌憚のない孫たちの言葉によって正真正銘、れっきとした
老人であることを自認するに至った次第です(~_~;)
9月初旬、教会で発行している教会便りに、「老い」を扱った
記事が掲載されました。少し長いですが聖書の当該箇所のみを
紹介したいと思います。
「その日、家を守る者たちは震え、《 腕が弱る 》
力のある男たちは身をかがめ、 《 足腰が弱る 》
粉をひく女たちは少なくなって仕事をやめ、
《 歯が減り、噛む力が弱くなる 》
窓からながめている女たちの目は暗くなる。
《 視野が狭くなり、視力が落ちる 》
通りの扉は閉ざされ、 《 両耳、聴力の低下 》
臼(うす)をひく音もかすかになり、 《 声が出なくなる 》
人は鳥の声に起き上がり、 《 浅い眠りと早起き 》
歌を歌う娘たちはみな、うなだれる 《 ことばの混乱 》
人々はまた高いところを恐れ、 《 高所恐怖 》
道でおびえる。 《 不安 認知症 徘徊 》
アーモンドの花は咲き、 《 白髪になる 》
バッタは足取り重く歩き、 《 歩行困難 》
風鳥木(ふうちょうぼく)は花を開く。《 生殖能力の衰え 》
人はその永遠の家に向かって行き 《永遠の家=墓?》
嘆く者たちが通りを歩き回る。 《 葬儀の準備 》
こうしてついに銀のひもは切れ、金の器は打ち砕かれ、
《 血液循環器系統の故障 》
水がめは泉のかたわらで砕かれて、
滑車が井戸のそばでこわされる
《 内臓の機能不全 》
土のちりは元あったように地に帰り、
霊はこれを与えた神に帰る。」
(伝道者の書12章3-7節)
聖書は肉体の衰えを、ただネガティブに捉えるのではなく、
比喩を用いて淡々と、ありのままの現実を描写しているのが
分かります。そして老いの事実を受け入れながらも、内面を強く
保ち、ポジティブに生きるにはどうすれば良いか、示唆を与えて
くれます。
「人はその永遠の家に向かって行き」とありますが、イエスさまは
わたしを信じる者には、「あなたがたの住まいを用意しておく」と
約束されています。老いと死の先にある、この世の墓ではない
「永遠の家」に目を向けること。ここに確かな望みがあります。
これから後、肉体の弱さを覚える日々は増えていくでしょう。
でも、老いの重荷に打ちひしがれることなく、尚も永遠の住まいに
希望を抱いて向かって行く、ゆとりあるアクティブ・エイジングを
目指したいものです。