シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

ホタルブクロ、そして「誰がために鐘は鳴る」

 

 

マイガーデンは今、ホタルブクロが咲き競っています。

昔は花の中にホタルを入れ、透けて光る様子を楽しむ花遊びが

あったとか。ホタルブクロの名は、そこから来ているとも

言われます。英語でベルフラワー(Bellflower)と言うように

釣鐘草とも言われる花。提灯、ランプシェードのような花の形から、

ホタルを入れてみようと思いついた人がいたのでしょうか。

ホタルを見かけない今となっては、貴重な花遊びと言えそうです。

 

提灯と釣り鐘。形はよく似ていても、「提灯に釣り鐘」は

材質も重量も違うので、釣り合いが取れないものの例えとして

使われるという、なかなか面白い取り合わせの諺ですね。

 

さて、「鐘」という言葉から発想を飛ばしてみることにします。

17世紀のイギリス宗教詩人、ジョン・ダンの詩の一編を。

 

 「誰がために鐘は鳴る

 人は離れ小島ではない
 一人で独立してはいない
 人は皆大陸の一部

 もしその土が波に洗われると
 ヨーロッパ大陸は狭くなっていく
 さながら岬が波に削られていくように
 あなたの友やあなたの土地が
 波に流されていくように

 誰かが死ぬのもこれに似て
 我が身を削られるのも同じ
 なぜなら自らも人類の一部

 ゆえに問う無かれ
 誰がために弔いの鐘は鳴るのかと
 それが鳴るのはあなたのため
           (浜野聡訳)

 

アーネスト・ヘミングウェイ著「誰がために鐘は鳴る」は、

このジョン・ダンの死生観を表すフレーズから取ったもの

だと言われています。

大まかに意訳すると、こんな感じになるでしょうか。

 

 人は一人ではない。

 この地上全体の中の一部である。

 同じように、誰か(の死)と自分(の死)はつながっている。

 だから、弔いの鐘が誰のために鳴るのかと問うのはやめよ。

 それは自分のためにも鳴っている鐘なのだから。

 

今、世界中の人が非人道的な侵略戦争に苦しむウクライナ

人々の映像を目にし、誰もが、このゆゆしき戦争犯罪に終止符が

打たれることを願っています。どんなに熱い思いを持ってしても、

正義の槍をかざす術も力もありません。そんな無力感、焦燥感を

覚える一方で、心底、自分自身の問題として捉えきれていない

歯がゆさやジレンマを覚えている人は多いと思います。

 

昨日も今日も、メランコリックな報道が繰り返されています。

誰かの死が、また誰かの悲しみが、自分と大きく乖離したものと

して捉えるのではなく、少しでも苦しみが癒えるように、痛みが

和らぐように、心に平安と慰めがもたらされるように、そして、

世界中の平和を願う人たちの祈りが、希望の光となって届く

ように願わずにはいられません。

 

誰がために鐘は鳴る」という短い一節が、人類一人ひとり

への警鐘でもあることを、深く考えさせられました。

 

可憐なホタルブクロから「誰がために鐘は鳴る」へ、思いがけない

方向へ話が飛躍してしまいましたね(^o^;)。

今時、ホタルを見つけるのは難しいので、花の中に小さな豆電球でも

照らし、昔の花遊びを再現してみる。そんな風流もありですね。