ずいぶん昔、いのちのことば社の機関誌「いのちのことば」に
掲載されていた詩を紹介します。
「引き算の人生」
木村藍著『傷つきやすいあなたへ』(文芸社)より
人生は足し算だと思っていました。
学校へ行って新しいことを勉強し、
できなかったことができるようになる。
友達を作る。
知識や技術を身につける。
働いてお金をもうける。
服を買う、車を買う、家を建てる。
足りないものは足していく。
知識、学歴、資格、お金、持ち物、人間関係、
なんでも多ければ多いほどいいと思っていました。
人生は足し算でした。
うつ病になって、なにもできない惨めさを知りました。
仕事はおろか、起き上がることもできません。
電話に出るのも、人に会うのも苦痛になりました。
今までできたことが、できなくなりました。
やりたくてもできないこと、
どんなにしたくても、やってはいけないことも増えました。
それから人生は引き算になりました。
たくさんあることの中から、
ほんとうにしなければならないことだけを残す引き算です。
大切なことと、どうでもいいこと、
どうしても私がしなければならないことと、
ほかの人に代わってもらってもいいこと、
時間をかけてしたほうがいいことと、
手を抜いてもいいこと、
少しずつ見分ける知恵がついてきました。
わたしにしかできない、ひとにぎりのことを 心をこめてする。
引き算の人生も、悪くないと思います。
..................................................................................
以前にもブログに書きましたが、「知足(ちたる)」という名前の
人を知っています。親御さんは、満足することを知っていれば、
豊かな人生を送れるとの願いを込めて命名されたのでしょうね。
“足るを知る”。とても素敵なことです。
自分に足りないものを増やしていけば、より人生も充実した
ものになるだろうと考えがちですが、それは一面の真理でしか
ないように思います。ちょっと的はずれな例かもしれませんが、
もし人間に忘却というものがなく、ことごとく記憶し続けたら、
脳はパンクしてしまうという話を聞いたことがあります。記憶と
忘却は、その人にちょうど良い「足し算と引き算」でバランスが
取れているのかもしれません。神さまの御手の中で‥。
「失ったことを嘆くよりも、お返しする生き方を」という、この
お言葉にも通じるように思うのです。人間のいのちも、能力も、
地上における神様からの いっときの授かりもの。来たるべき
時が来たら感謝してお返しする。「喪失の栄光」とも言える
でしょうか。旧約聖書 ヨブ記の1章21節が思い起こされます。
「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。
主は与え、主は取られる。主の御名は ほむべきかな。」
高齢者の身にもなれば、いろいろと持ち物も多くなります。
若い頃のように、何としても手に入れたいと思う物欲は
さすがになくなりましたが、それでも何か足りないものを、
いつも探している気がします。人間の性(さが)なのでしょうか。
この詩には頷けるフレーズがたくさんあります。私も、今の
自分に本当に必要なものだけを残し、物心両面において
「さして要らないもの」を、思い切って引き算していく作業を
始めたいと思います。
※写真は今朝の紫陽花。雨によく映ります。