シャロンの薔薇

聖書から学んだこと・日々の出来事・ハンドメイド

「引き算の人生」も悪くない

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ずいぶん昔、いのちのことば社の機関誌「いのちのことば」に

掲載されていた詩を紹介します。

 

   「引き算の人生」

     木村藍著『傷つきやすいあなたへ』(文芸社)より

      

  人生は足し算だと思っていました。

  学校へ行って新しいことを勉強し、

  できなかったことができるようになる。

  友達を作る。

  知識や技術を身につける。

  働いてお金をもうける。

  服を買う、車を買う、家を建てる。

  足りないものは足していく。

 

  知識、学歴、資格、お金、持ち物、人間関係、

  なんでも多ければ多いほどいいと思っていました。

  人生は足し算でした。

 

  うつ病になって、なにもできない惨めさを知りました。

  仕事はおろか、起き上がることもできません。

  電話に出るのも、人に会うのも苦痛になりました。

 

  今までできたことが、できなくなりました。

  やりたくてもできないこと、

  どんなにしたくても、やってはいけないことも増えました。

 

  それから人生は引き算になりました。

  たくさんあることの中から、

  ほんとうにしなければならないことだけを残す引き算です。

 

  大切なことと、どうでもいいこと、

  どうしても私がしなければならないことと、

  ほかの人に代わってもらってもいいこと、

  時間をかけてしたほうがいいことと、

  手を抜いてもいいこと、

  少しずつ見分ける知恵がついてきました。

  わたしにしかできない、ひとにぎりのことを 心をこめてする。

  引き算の人生も、悪くないと思います。

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以前にもブログに書きましたが、「知足(ちたる)」という名前の

人を知っています。親御さんは、満足することを知っていれば、

豊かな人生を送れるとの願いを込めて命名されたのでしょうね。

“足るを知る”。とても素敵なことです。

 

自分に足りないものを増やしていけば、より人生も充実した

ものになるだろうと考えがちですが、それは一面の真理でしか

ないように思います。ちょっと的はずれな例かもしれませんが、

もし人間に忘却というものがなく、ことごとく記憶し続けたら、

脳はパンクしてしまうという話を聞いたことがあります。記憶と

忘却は、その人にちょうど良い「足し算と引き算」でバランスが

取れているのかもしれません。神さまの御手の中で‥。

 

これも前に書きましたが、上皇后 美智子様が語られた

「失ったことを嘆くよりも、お返しする生き方を」という、この

お言葉にも通じるように思うのです。人間のいのちも、能力も、

地上における神様からの いっときの授かりもの。来たるべき

時が来たら感謝してお返しする。「喪失の栄光」とも言える

でしょうか。旧約聖書 ヨブ記の1章21節が思い起こされます。

 

 「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。

 主は与え、主は取られる。主の御名は ほむべきかな。」

 

高齢者の身にもなれば、いろいろと持ち物も多くなります。

若い頃のように、何としても手に入れたいと思う物欲は

さすがになくなりましたが、それでも何か足りないものを、

いつも探している気がします。人間の性(さが)なのでしょうか。

 

この詩には頷けるフレーズがたくさんあります。私も、今の

自分に本当に必要なものだけを残し、物心両面において

「さして要らないもの」を、思い切って引き算していく作業を

始めたいと思います。

 

※写真は今朝の紫陽花。雨によく映ります。