真面目な人ほど問題や悩みを解決しようと、一生懸命になりがち
です。哲学、心理学、スピリチュアル‥。様々な分野の中に、
納得できる答えを探そうとします。
果たして、答えは見つかるのでしょうか。
藤木正三著 『灰色の断想』の中に、こんな一文があります。
「忍耐」
人生の意味を問い目的を問うて、多くの答えが出されて
きました。しかし、人はそのいずれにも満足しませんでした。
そして、答えのないままに生きてきました。これからも同じ
ことです。これを不真面目と思ってはなりません。答えが
ないということは、答えはなくとも、とにかく生きるのが
人生だということを示しているからです。それは、人生は
答えで生きるものでなく、問いで生きるものであることを
教えているからです。人生にとって大切なことは、答えを
得ることではありません。不可解に耐えて問い続ける忍耐で
あります。
<人生は答えで生きるものでなく、問いで生きるもの>
<大切なことは‥不可解に耐えて問い続ける忍耐>
忍耐という言葉から浮かんでくる意味合いは、自分に
ふりかかった苦しみ、悲しみなどを耐え忍ぶこと。不条理に
耐え、暴挙に出ないこと。現実逃避に走らず、こらえ抜くこと。
そんなニュアンスでしょうか。単に我慢や辛抱をするのでは
なく、より強度の高い、内に秘められた覚悟のようなものも
感じられます。
以前、礼拝の説教で、ヘブル語の動詞には「現在進行形」の
意味が含まれると聞いたことがあります。たとえば新約聖書、
マタイ7章7節の
「求めなさい。そうすれば与えられます。
探しなさい。そうすれば見つかります。
たたきなさい。そうすれば開かれます。」
という、それぞれの動詞はどうでしょう? 動詞は皆、
命令形ですが、進行形であれば「求め続けなさい」
「探し続けなさい」「たたき続けなさい」となります。
問題をすっきり解決したいのは人の常ではありますが、
あえて現在進行形で物事を考える時、問い続ける人生、
忍耐し続ける人生にも、確かに一理あることを
教えられます。
「問う」「忍耐する」
人生の指標となる、とても深い言葉に出会えた気がします。